一藤二コバ三カレー



翔太が毎年その日だけは両親と一緒に夜更かしをするようになったのは、ごく最近の事だった。いくら特別な日と言えども、幼い歳では日付が変わる頃まで起きているなんて芸当は到底出来なかった。眠い目をこすりながら何とか起きていられるようになったのが、つい昨日の事のように思い出される。中学生ともなればもう夜更かしはお手のもので、普段は早く寝なさいと口うるさい母親もこの日ばかりは小言も言わず、翔太と一緒にテレビを見る。
画面の向こうの賑やかなカウントダウンを見て、テレビの中の数字がゼロを写し出したと同時に家族三人の間で新年の挨拶が繰り広げられる。毎年の恒例行事だった。おそらく翔太がこの家にいる間はずっと続く習慣だろう。それが終わればもうちょっとだけテレビを見て、両親に何か言われないうちに自分の部屋に戻り、眠る。階段をゆっくり上りながら、翔太は一つ大きな欠伸をした。明日はのんびり目覚めよう。翔太の正月はその大体が寝正月だ。
そうして自室の扉を開けた翔太は死神の存在を完全に失念していて、油断していた目の前に真っ黒を見て驚きの声を上げていた。

「うわ、死神だ!」
「おや、君にこの部屋で驚かれるのも久しぶりだな。いつもと何か違う事があったかい?」

部屋の入口で思わず立ち尽くす翔太を死神がのんびりとした目で眺めてくる。どうやら床に座り込んで漫画を読んでいた最中らしく、一冊手に持ったまま不思議な構えをとっている。死神は漫画のキャラクターの真似をするのが前からのお気に入りのようだった。声を掛けられてハッと我に返った翔太は、とりあえず部屋の中に入り扉を閉めた。

「ごめん、何か今の今まで死神の事をすっかり忘れてたんだ」
「うーん、不思議だな。ぼくは今微妙に傷ついた気がする」
「だからごめんって……あっ」

死神を見ていた翔太は、ぽんと思いついていた。

「今年初死神だ」
「ん?何だい、その不思議な言葉は」

首をかしげる死神。今日が何の日かわからないのかと思い至った翔太は、ベッドに腰掛けて説明してやった。

「今夜はもう日付が変わっているのは分かる?」
「うん」
「昨日は大晦日で、今日は元旦。昨日は去年で、今日は新年。年を越したんだよ、死神」
「うーん?」

やっぱりぴんと来ないらしい、死神は考え込むように眉を寄せた。翔太もどう説明したら死神に分かりやすいだろうかと考える。
おそらく死神は、一年がどこで始まりどこで終わるかを知らない。季節がぐるりと巡っている事はさすがに分かるだろうが、細かな日付なんて気にもしていないだろう。死神がカレンダーを凝視している姿を今まで見たことがない。そんな存在に、年が移り変わった今日の事を上手く説明する事なんて、出来るのだろうか。
翔太が思い悩んでいる内に、死神は自分なりの考えをまとめたらしい。肩に担いだままの鎌の柄をとんとんと指で叩きながら、ゆっくりと口を開いた。

「つまり今日は、人間がとりあえず定めた一年の節目という訳か」
「あー、うん、そんな感じ」
「なるほど。確かに節目をはっきり定めておけば何かと便利だ。気持ちも改まるし、目標も立てやすい。合理的だね」

どうやら一人で勝手に納得してくれたらしい。ほっと息を吐いた翔太に、死神は尋ねてきた。

「それで、さっきの不思議な言葉の意味は?」
「ああ、そう、死神言っただろ、一年の節目って。昨日で一年が終わって、今さっきまた新しい一年が始まったばかりだ。だから今年初めて見た死神ってことで、初死神だなあ、と……」
「なるほどそうか、よくわかったよ」

ぽんと手を打って死神が感心している。翔太は逆に恥ずかしくなってきた。口で説明すればなんて他愛のなさすぎるくだらない言葉だったのだろうと、改めて思ってしまったためだ。これ以上死神が何か変なことを尋ねてきたり言ったりしないようにと、慌ててベッドにもぐりこむ。

「そ、それじゃあ僕は寝るよ。初夢を見なきゃ」
「おっそれも今年初のものか。何か意味でもあるのかい?」
「うんそう、初死神に意味は無いけど、初夢には確か意味があるんだよ」
「それもまた、微妙に傷つく言葉だね」

枕に頭を乗せながら翔太は思い出していた。学校でもちらりと聞いたことがある、縁起の良い初夢の話だ。

「一富士二鷹三茄子」
「呪文?」
「ううん、初夢で見たら縁起が良いものなんだって、富士山と鷹と茄子。僕も由来とか詳しい事は知らないんだけど」

だからなるべくなら見てみたいじゃないかと、翔太がそう言えば、少しだけ考えた死神は立ち上がり、カーテンで閉め切られた窓へ歩み寄った。それを翔太はベッドに寝転びながら視線で追う。

「初夢とは、本当に富士山と鷹と茄子でなければいけないのかな」
「えっ?」
「例えば鷹の代わりに、彼女とか。同じ鳥だしどうだろう」

カーテンを開け、窓を大きく開いた死神が夜更けの空から何かを招き入れる。ばさりと大きな音を立てて部屋の中に舞い込み、死神の肩に降り立った翼をもつその生き物は、とまった肩の持ち主と同じように全身が真っ黒だった。あまり星の出る夜には似つかわしくない、どちらかといえば真っ赤な夕暮れによく似合うカアという鳴き声を上げるその黒い鳥に、翔太は最初驚いた後じっとりとした目で死神を見た。

「別に必ずその三つじゃなきゃいけないって訳じゃないけど、カラスはあんまりじゃないかな」
「何故?」
「だって真っ黒だし……」
「君それは何気にぼくにも文句を言っているのかな。まあいい、それなら色が少し暗めの茄子よりも、こっちの方がいいんじゃないかな」

カラスを肩にとまらせたまま、死神はどこからともなく籠を取り出した。そこに盛られているのは見た目鮮やかな野菜で、ベッドの上からでもよく見える。上体を起こした翔太は盛大に顔をしかめた。

「嫌だよ、トマトなんて。嫌いなものを夢に見るなんてこの上なく縁起悪いよ」
「でも翔太、君は確か茄子もそれなりに嫌いな食べ物だった気がするんだが」
「それは……そうだけど」

至極もっともな問いにしゅんとうなだれる。だがしかし茄子は食わず嫌い、トマトは食べても不味く感じるのだから嫌い度が違う。トマトケチャップとかは大丈夫なのに。そんな感じの事をブツブツ呟いていると、死神は窓から身を乗り出して外を眺め出す。

「富士山だって、山ぐらいなら君の身近にもあるだろう。必ずしも富士山でなくてもいいんじゃないか」
「えーっ、だって富士山ほど高くは無いよ。高い方がよくない?」

ベッドから降りた翔太は、死神の隣に並んで窓の外を見た。静まり返った町の向こうには、よく見る近くの山の影がでんと聳え立っている。遠足などでもよく登る身近な山だが、それだけに見飽きた光景に翔太は不満そうに唇を尖らせた。

「あの山は飽きたよ、小学生の頃から登れるような山だよ、小さすぎると思う」
「うーんそうか、これらは全部君の身近で見られるものだと思うんだが」
「だから嫌なんだよ、スケールが小さいもん。せっかくの夢なんだから、もっと全部大きくて立派なものが見たいじゃん」
「なるほど、それは一理あるね。しかし翔太、君は富士山をその目で見たことがあるのかな」

死神の言葉に翔太は言葉を詰まらせた。確かに直接は見たことがない。夢とは結局は自分が頭の中で描き出した世界なのだから、翔太がまったく知らないものなら見れない、はずである。ぼそぼそと、翔太は言い訳めいた言葉を呟く。

「べ、別に直接見た事なくたって、大丈夫だよ。絵や写真でならちゃんと見た事あるし」

途端に向こう側に存在していた飽きた山が、よく見た事のある堂々とした富士山の姿に変わる。しかしそれは立体的ではなく、例えば雑誌のカラー写真を切り取ってそのまま空に張り付けたような、薄っぺらい富士山だった。翔太はむくれて、死神は笑った。

「想像力が足りないな、翔太。これじゃあちょっとご利益ありそうにない」
「う、うるさいなあ」
「それなら翔太の好きなものにしてみてはどうかな。馴染みのないものを無理矢理夢に見るより、よっぽど嬉しいと思わないか」
「好きなもの?」
「トマトも茄子も嫌いなら、君は何が好きだい?」

死神が隣で籠を掲げる。山盛りになったトマトを見つめてから、翔太はしばし目を閉じる。好きな食べ物。好き嫌いがちょっぴり多い翔太が、毎日でも食べたいと思うもの。頭の中で思い浮かべて目を開けると、死神が持っていたトマトの籠はいつの間にか、山盛りのカレーが盛られた皿になっていた。母親が月一で作ってくれるカレーの、しかも二日目の奴だ。自分の手元を見た死神は、露骨にがっかりした。

「プリンじゃない……」
「それは死神の好きな食べ物だろ。自分で夢に見なよ」
「む、それはもっともだ。それじゃあ翔太、この子はどうする?」

死神が自らの肩を示す。たまにカアと鳴くカラスが大人しくとまったままだ。真っ黒と真っ黒のツーショットは見事にお似合いで、翔太は思わず笑みを浮かべる。

「死神とカラスが似合いすぎてるから、そのままでもいいかも」
「お、そうかな?」
「……あ、でも」

翔太が思い直すと、カラスは翼を広げて開いたままの窓からあっけなく飛び出した。飛び去ったカラスの代わりにすかさず窓から滑り込んできたのは、再び全身真っ黒な生き物。いや、その瞳だけが金色と空色にそれぞれ輝いて、それが闇夜に美しい。くわっとあくびをしたその生き物の頭を、翔太は手を伸ばして撫でた。

「同じ真っ黒でも、見慣れてる分やっぱり死神には黒猫の方が似合うな」
「おやコバ、こんばんは」
「にゃーん」

黒猫のコバは挨拶を返すように一声鳴くと、足元に丸くなって収まってしまった。夜だから仕方ないか、と翔太はもう一回だけ撫でて、それで終わっておく。最後に死神は外を指差した。

「さあ翔太、あの山はどうする?」
「どうするって言われても、別に僕は好きな山なんて無いよ。詳しくもないし」
「そうか、それなら代わりのものを連想出来ないかな」
「富士山の代わり、か」

富士山。富士。ふじ。翔太は考えた。ふじ、ふじと言えば、一つだけ思い浮かぶ。「藤」という文字だ。別に藤の花に馴染みがある訳では無い。この文字はなかなかに難しい漢字だが、翔太がすでに何も見ないで書けるのは友人の苗字に一文字入っているからだ。そんな友人の顔を思い浮かべて、あっと翔太は声を上げた。連想してしまった。
はたして窓の外に聳え立つのは。いつもどこか面倒くさそうだが付き合いは良い、ちょっとだけ口が悪めの翔太の友人、藤崎雄二その人であった。町の上に仁王立ちする見慣れたその姿に、翔太は頭を抱えた。

「うわーっ雄二が巨人に!」
「おお友人、立派な姿になったな」
「ううっ次会った時謝らないと……あっでも、いつももっと身長伸ばしたいって言ってたし、逆に喜ぶかな」

山ほどの大きさになった雄二は、元旦の夜空の下堂々とした姿で町を見下ろしている。同じく身長を伸ばしたいと思っている翔太は少しだけ羨ましく思った。こんな、雲にも届くほど大きくなりたい訳では無いが、少しでも大きくなりたいと思うのは男のサガだ。
とにかくこれで翔太のめでたい初夢が揃った。富士山のように大きな雄二、鷹とは似ても似つかないが死神によく似合うコバ、翔太の大好きなカレー。それらを順繰りに眺めて、翔太は複雑な表情を作る。

「これで本当にいいのかなあ」
「いいんじゃないかな。少なくともぼくは、とても楽しい夢だと思うよ」

もぐもぐと翔太のカレーを勝手に食べながら死神が笑う。外は徐々に白み始めている。暇そうに突っ立つ巨大な雄二の向こう側から、ゆっくりと朝がやってくる。夢の中でこれからやってくる初日の出に、しかし翔太は浮かない顔だった。とある事実に気付いてしまったのだ。

「これ、僕が一体どこから見ていた夢なのかもう良く分からないけどさ。一つだけはっきりしている事があるよね」
「何だろう」
「今までずっと一緒にいた死神が、僕の初夢に間違い無いって事だよ」
「ああ……それは、間違いないね」

納得した死神は、口の端にカレーをつけたまま、朗らかに笑いかけてくる。

「新たな年早々君の夢にお邪魔してしまったようだ、すまないね」
「全然すまないとか思ってないだろ、その顔」
「おや翔太、鋭いね」

どこまでも楽しそうな夢の中の死神と、翔太は朝日を待つ。現実の自分は何時頃目覚めるだろうか。目覚めた時間によっては、現実の死神とこうして初日の出を見る事になるかもしれない。出来ればこの夢を鮮明に覚えている間に話して聞かせてやりたい、人の夢の中を好き勝手に変えまくって、幻の死神はどこまでも図々しかったんだぞ、と。
一筋の光が翔太に向けて差し込んできたとき、ふと思い出した。視線はひたすら窓の外に向けながら、翔太は死神に話しかけた。

「夢の中の死神、一つ教え忘れてた」
「ここは君の夢の中だが、是非教えてくれ」
「新年用の挨拶があるんだ。お父さんとお母さんにはもう言ったんだけど、死神には言い忘れてた。どこから僕が眠ってしまって夢を見ていたか分からないから」
「それは大変だ。現実のぼくに帰ったら教えておくよ。ちゃんと帰れるかは分からないけどね」
「そっか。それじゃあ僕は先に言っておくよ」

欠伸をする藤崎雄二の横から太陽が覗く。目を覚ましたコバが一声鳴く。結局カレーは食べてない。翔太にだけのめでたい初夢の中、隣に建つ初死神へ、翔太は今年初めて笑いかけた。

「あけましておめでとう、死神」


14/01/01



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