「おめでとうございます!あなたは二次元の世界に行く権利を得ました。さっそく今から行きましょう!」
「……は?」

私の名前は大山恵子、たった今夢の中で見知らぬ女の人に意味不明な事を笑顔で言われた冴えない25歳の女だ。そう、ここは夢の中。何も無いだだっ広い白い空間で全身を光輝かせながらぷかぷかと浮かぶ女の人が目の前にいる状況なんて、夢に決まっている。夢では無かったら世界の崩壊を意味する。
それにしても夢の中で「これは夢だ」とこんなにはっきりと認識するのは初めてだ。貴重な体験なんだろうけど、今の私はこの誰かも分からない発光する女の人に対応するので精一杯で、しみじみと実感している暇が無い。

「とりあえず、あんた誰?」
「私は女神です、人々のささやかな願いを少しずつ叶えていくのが私の仕事。今回はあなたの番です、さあ行きましょう」
「いやいやいやいや、今のでまたあんたに質問したい事が増えたんだけど。女神だなんてさらっと名乗ってるけどさ、信じられないし。願いって、さっきの二次元の世界に云々の事?私そんな事願ってないんだけど。そもそも二次元の世界に行くって何なの?どういう事?」

まくしたてる私を、女神と名乗った女の人はにこにこと笑顔で見つめてくる。ウェーブする金色の綺麗な髪も滑らかな白い肌も純白の衣装も浮いているのも、言われてみれば確かに女神という肩書きに似合わないでもない。でも今は似合うとか似合わないとかそういう問題ではないのだ。例えこれが夢の中だとしても、聞き捨てならない事ばかりだ。

「隠さなくても大丈夫ですよ、あなたは二次元の世界に行きたいと幼い頃からずっと思っていたはず」
「はあ?」
「その強い憧れのために、昔から自分でお話も描いていましたものね」
「な……?!何で、その事を!」

私はうろたえていた。確かにこの女神の言う通り私は小さい頃から絵や漫画やお話を書くのが好きだったけど、そんなの中学に上がったころから人に言った事無かったのに!うんまあ小学生の頃は友達に見せたりしていたけど、若気の至りって奴で。女神はこちらを何でもお見通しと言わんばかりに笑っている。

「心配しなくてもあなたが主人公ですよ」
「いや、そういう心配してるんじゃなくて!」
「では行きますね。メガメガミ〜ン、二次元の世界へ飛んで行けー」
「何その呪文?!ちょっと待ってまだ全然疑問に答えて貰って無い……っていうか、どこの二次元に飛ばされるのよーっ?!」

女神が手に持っていた謎のステッキをくるりと振ると、私の身体は宙に浮いていた。そのまま文句も疑問もぶつける事も出来ずに、どこか空間へ放り出される。
私が覚えているのは、そこまでだった。



次に目を覚ました時、私が見たのは見知らぬ天井だった。……いや、厳密に言えば少し覚えている。この色この形そして特徴あるあの染み、間違いない、私が引越しする前に住んでいた、生まれ育った家の天井だ。つまりここは私の昔の部屋だ。日当たりがあまり良くない二階の小さな部屋だ。
ちょっと待って、どういう事?この家はもう取り壊されて無いはずなんだけど。仮にさっきのムカつく女神が夢じゃなかったとしても、どうしてここに私が眠っているのか説明がつかない。二次元ってつまり、アニメや漫画の世界ってことでしょう?どうして今は無き私の部屋で目が覚めるのよ。ここが二次元だっていうの?

「恵子ー!そろそろ起きないと遅刻するわよー!」

混乱したまま私が起き上がれないままでいると、下から母の声がする。就職してからずっと一人暮らしだったので、この母の声が無性に懐かしい。学生の頃は「言われなくても起きるっつーの」と無駄に反抗してたっけ。
いや母がいるならここはやはり二次元ではないのでは?まさか過去の世界?真偽を確かめるため私は転がっていたベッドから飛び起きた。部屋の様子はやはり記憶の中にある昔の私の部屋そのままだった。そのまま部屋を出て、階段を下りる。顔面に垂れてくる自分の長い髪が邪魔くさいけど、今は整えている暇が無い。

「お母さ……!」

すぐそばにある台所へ飛び込んだ私。そのまま母に何かを言おうとした口は、空いたまま固まった。台所には確かに母が立っていた。但し、記憶より大分痩せた姿で。

「どうしたの恵子、あなた髪がぼさぼさじゃない、早く顔を洗って来なさい」

振り返った顔は少し若い気もするが確かに母だ、かなり痩せてる事を除けば。いやいや、母は私が物心つく頃から丸々と太……ふくよかな体型だったぞ。少なくともこんなに痩せていた母は私の記憶の中に存在しない。見ろ、あの腰のくびれを、私の母には腰なんてものは存在しないはずだ。昔は痩せたお母さんが良かったと罰あたりな事を思ったりもしたぐらいだ。
じゃあアレは誰?母の顔と声を持つあの痩せた女性は誰?
さらに混乱した頭で、言われるがままにフラフラと鏡の前に立った私は、そこに見た姿で思考を停止していた。
あれ、私普通の日本人の黒髪だったはずなのに、いつの間に外人真っ青なぴかぴか金色に……?いや、金色っていうか、ベタ塗りな黄色に……?

「っぎゃあああああ!」
「恵子?!どうしたの!」

思わず叫んだ私の声に驚いた細い母が駆けつけてくる。私は母に泣きついていた。数年ぶりに抱きついたが、やっぱりこんな心もとない感触お母さんじゃない……母はもっとお肉がついてて抱き心地が良かった。だがそんな事気にしていられないぐらい、私の頭はショックで一杯だった。

「おっおっお母さん!私の髪が……私の髪が黄色に!」
「何を大声出しているかと思えば……そんなの生まれつきじゃない」
「うっ生まれつき?!この黄色の髪が?!染めたかカツラ被っているとしか思えないこの色が?!」
「まったく寝ぼけているのね、早くしないと本当に遅刻するわよ」

母は取り乱す私をぽいと捨ててさっさと台所へ戻って行ってしまう。娘がこれだけ狼狽しているのにひどい。私がへたり込んでいると、今度はひょっこりと弟の元紀が顔を覗かせてきた。ペンキ塗りたくったような青色の髪で。

「あっ青ー?!」
「ねーちゃん朝っぱらからうるさい、テレビの音が聞こえないから静かにして」

相変わらず可愛くない事を言って元紀はすぐに姿を消してしまった。あいつ、小学生の姿してた。やっぱりこれは過去の世界なのか。それならなぜ、私の髪や元紀の髪がまるで二次元の人間みたいなふざけた色をしているのだろう。
……二次元?私の胸の中にふつふつと嫌な予感が沸き起こってくる。まさかな……まさかな……!

最早まともに考えられない私は母に促されるままご飯を食べ、十数分後ランドセルを背負って家を出ていた。目線なんかでもしかしてと思っていたが、やはり今の私は小学六年生のようだ。即ち大体一回り若返った事になる。まだ何が何だか分からない、お願いだから誰か説明して。

「恵子ちゃーん!おはよう!」

十何年経っても未だに覚えている登下校の道を、視界にちらちら映ってくる黄色の髪を見ないように歩いていると、後ろから声を掛けられた。振り返る前に私はこの声の人物に心当たりがあった。同時にどうしようもない懐かしさが私の胸を襲う。

「も……モモちゃん……!」
「あれ、どうしたの?何か今日は元気ないね」

込み上げてくるものを耐えながら振り返った私の目の前に立っていたのは、当時仲が良かった友達のモモちゃんだった。中学から別になってしまったのでそれからあまり会っていなかったが、小学校の頃はよく一緒に遊んでいた懐かしい友達だ。その子が記憶のままの幼い姿で私の目の前に立っている。ただし、その名の通りのピンクの髪で。

「ピンク……」
「何?どうしたの恵子ちゃん?」
「ううん、何でも無い……」

叫ぶ事が意味の無い事だとようやく理解した私は、ただ呟いて項垂れる事しか出来ない。今まで出会ってきた人の中で私の記憶通りの人物が誰一人としていないのは何故なんだろう。家を出る時父がいなくてよかった。もし父の髪が赤色とかになっていたら、私の心臓は麻痺していたかもしれない。
いや、父の髪は赤色ではないだろう。私は見てもいないのにそう確信していた。そしてモモちゃんはピンクだろうと、半ば予想もしていた。いや、名前ではない。今まで見てきたこの色合いに、私は何と心当たりがあったのだ。
でも未だに信じられない。私はまだ信じない。この世界が、私の想像通りの世界だなんて。
だってもし、本当にここが私が思った通りの世界なのだとしたら……。
あの女神、鬼畜すぎるでしょう!

「ねえねえ恵子ちゃん宿題やってきた?今日の算数の授業で当てられないといいよねえ」
「あ、うん……そ、そうだねー」

算数なんて遥か昔の記憶過ぎて覚えて無い。どうしようこのまま授業を受ける流れ?さすがに小学校の授業でついて行けないなんて大人失格な事にはならないと思うけど、それでも心配だ。むしろ二次元?の世界でまで勉強したくない。色々と話しかけてくるモモちゃんに適当に相槌を打ちながら、これからどうするか考える。いっそここは二次元なんだからと開き直って、学校放り出してどこか繰り出してみるべきか?
もう少しで私がランドセルを放り投げて走り出そうとした時、まるでそれを止めるかのように目の前に何かが現れた。私たちの進行を妨げるようにちょうど目の前に、黒く大きい影が空からいきなり大きな音を立てて降りてきた。いや、落ちてきたと言った方が正しいだろうか、地面にひび入っているし。突然の出来事に私があっけに取られている間に、モモちゃんが声をあげていた。

「で、出たっ!モンスターだ!」

な、何ですとー?!私たちの前に立ちはだかったのは、モモちゃんが言う通り到底人間とは思えない、全身真っ黒なモンスターだった。
ただ……その姿は、何か不気味な生き物を描きたいけどよく分からないから適当に描きました、という感じの、どこか拙い雑な形状。これでもつけとけばそれっぽくなるかなとか考えたに違いない大きな二本のキバが特徴。後は何か、とってつけたような尻尾と長い手足と、それぐらいだ。だって真っ黒だから他に特徴が無い。冷静に見れば見るだけ何だか適当なモンスターだ。まあ本当に適当に描いたんだろうけど。そんな適当モンスターが、これまた適当な叫び声を上げる。

「がおーっ!」
「きゃー!恵子ちゃん早く逃げよう!」
「え?えっ?!」

立ちつくす私を置いて、モモちゃんは一目散に逃げ出してしまった。は、薄情者ー!いくら存在が適当すぎると言ってもこれはモンスターだ、私も逃げなければ。
モモちゃんの後を追って走り出した私だったが、モモちゃんの姿はもうどこにも無かった。モモちゃんってこんなに足が速い子だったっけ?とりあえずモンスターから姿を隠すために物陰に隠れてみた。ここにきてようやく二次元?っぽい事が起きたけど、これどうすればいいの?

「恵子ちゃん、恵子ちゃん」

ふいに私を呼ぶ可愛らしい声。すぐ隣から聞こえてきたので、とっさに声のした方を見下ろす。足元に、何かふかふかしたものがいた。どこか薄汚れて見えるその白い物体は、私の良く知るぬいぐるみだった。小さい頃に親に買ってもらってから、ずっと大事に持っていたウーパールーパーのぬいぐるみだ。ちょっとリアルに作られているせいか友達からは気持ち悪いと言われた事もあるが、私にとっては間違いなく可愛い奴だ。実家に置いてきたままだけど、捨てられていないだろうか。

「……って、何でパー君がこんな所に落ちてるのよ」
「落ちて無いよ恵子ちゃん、僕は自らの意思でここに来たんだよ」
「何だ、そうだったんだ」

まさかとうとう母に捨てられてしまったのだろうかと一瞬肝を冷やしたが、ウーパールーパーのパー君が自分でここまでやってきたらしい。胸をなでおろした私は、安堵の息を吐き終わってからおよそ三秒後、ようやく大声を上げていた。

「ぬいぐるみが動いて喋ってるーっ?!」
「恵子ちゃん、いくらなんでも反応が遅すぎるよ」
「しかも駄目出しされてるー?!」

やれやれとほつれが目立つ首を振るのは紛れもなくパー君。しかも長い身体を器用に伸ばして二足歩行している。今までぴくりとも動かなかったぬいぐるみ姿を見てきているせいで、強烈な違和感に襲われる。うん、ぬいぐるみって動いちゃいけないわなるべく。頭の中でそう結論つけても、パー君が止まる訳がない。

「何で、どうしてパー君が動いてるの?」
「それはね恵子ちゃん、僕が大いなる使命に目覚めたからだよ」
「……ん?」
「さっきのモンスターを見たでしょう?とうとう魔界からこの現代に魔王が侵略を始めたんだよ。僕はそれを阻止するために数年前、選ばれし戦士を見つけるために妖精の国からやってきたんだ。時が来るまで恵子ちゃんのぬいぐるみを演じていたけど、それももう終わりだね……」

お、おお……何だか話がいきなり怪しい方向へ傾きだしたぞ。何故かパー君が寂しそうな声を出しているが寂しがっている余裕が私には無い。だってパー君の話を聞いていて、私の封印していたはずの禍々しい記憶がどんどんと呼び起こされてきたのだ。
ああそうだ、私はパー君の語った話を知っている。私の髪色が黄色い事や母が痩せている事、その他諸々よく知っている。モモちゃんの髪がピンクな理由はもちろん名前から取ったからだ。それを私は知っている。パー君が動くのも喋るのも、幼い頃の私が望んだからだ。ああ、パー君が動いたり喋ったりしたら面白いのになあ、と。
そうだよ。私が望んだんだ。当時流行っていたアニメの主人公みたいに、私も派手な髪色がいいって。
全部私が、望んだ事。

「恵子ちゃんよく聞いて。実は君は選ばれし者なんだ。妖精の国の神様が戦士として選んだ女の子が恵子ちゃんなんだよ、だから僕はずっと傍で見守っていたんだ。魔界の侵略が始まった今、君は戦士として戦わなければならない。ただの女の子である君がどうやってモンスターと戦うかと言うと……」
「妖精パワーを借りて変身するんでしょ」
「その通り!さすが恵子ちゃん、よく知っているね」

ええ、良く知っていますとも。
だってこのふざけた世界は。この物語は。

「それじゃあ恵子ちゃん、君が変身する妖精の国で一番気高く美しい戦士の名前は分かるよね!」
「分かるわよ!……よ、妖精少女、フェアリーケイちゃんよ!」

私が小学生の頃自分を主人公に、家族や友達を勝手に登場させて描いていた黒歴史物語、「妖精少女フェアリーケイちゃん」そのものなのだから!

……あの女神、次会ったら殴る。


女神のいたずら
‐妖精少女フェアリーケイちゃん‐ 前編

 

12/01/17



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