宿屋に同じ部屋で一晩泊まり(もちろん何もなかった)朝飯を食べ、ハルとカエデの二人は今、町を出て森の中の道を歩いている所だった。昨日までの雑草生い茂った獣道ではなく、人の足や馬車などできちんと踏み固められた大きな道だった。多くの人が常に行き交っている証拠であった。この緑豊かな森を抜ける道は主にここしかないので、自然と通る人も多くなる訳である。
この森を抜ければもっと大きな町もいくつかある。そこでなら、この不可思議な宝珠の正体をより詳しく知っている者もいるかもしれない。そんな望みもかけてハルは歩みを進めていた。

「ここから近くの町までは、順調に歩けば半日もあれば着く距離だ。お前も気合入れて歩けよ、カエデ……っておい」

意気揚々と歩いていたハルはさっそく足を止めた。ハルの歩みよりはるかにのろのろとした足取りのカエデが、ずっと後ろの方にいる事に気付いたためであった。カエデは、少々ぼんやりとした表情で虚空を見つめている。

「朝ごはん、美味しかった……焼きたてのパンというものはこんなにも生き物を幸福にする作用があるなんて」
「おーいいい加減戻ってこーい。パンぐらいいつでも食べさせてやるから」
「いつでも?あんな奇跡の食べ物をいつでもなんて……ハルは気前が良すぎる。その調子だと人に付け込まれてしまう、もっと心を鬼にしなければ駄目だ」
「何で俺が怒られてるんだよ」

どうやらカエデは、宿で軽く取った朝食の美味さが忘れられないらしい。確かに焼きたてのパンは美味かったが、奇跡とまではいかなかったような。ハルが小首をかしげている間に、カエデがようやく追いついてきた。

「しかしいくら未知の体験をしたといっても、ハルから離れてしまってはいけなかった……いつ狙われるか分からないから、ハルも気をつけて」
「いや、だから俺は簡単に狙われるような非凡な人間では……まあいいか。さっさと行くぞ」

最早訂正するのも面倒くさくて、ハルはさっさと先を急ぐ事にした。ちなみに今日のカエデの髪は、昨日と同じくハルの手によってポニーテールであった。一応やり方は教えたが、意外に不器用だったカエデはまだマスター出来ずにいるのだ。私は魔法使いになれないみたいだとしょぼくれていたカエデだったが、ハルが結んでやればすぐに元気を取り戻した。結んでもらえればそれでいいらしい。

「ハル、次の町というのはどんな所なんだ?」
「ああ、この辺はお前がいた遺跡みたいな所が多く隠されているらしくてな。町自体も昔からずっとそこにある古い町並みの場合が多い。次の町もそんな感じだ」
「古い町……」
「だから学者とか頭の良い奴が住んでる事が多いんだとさ。それなら誰か一人ぐらいこの玉っころについて詳しい奴がいるだろう」
「ハル」
「ん?」

おもむろに呼びかけてきたカエデに、ハルは振り返った。そしてちょっぴり後悔した。ハルを見つめるカエデの表情は、眩しいぐらいに尊敬の念に満ちていたのだ。思わずハルが引くぐらい。

「な、何だ、どうした」
「ハルはすごい。すでにとても物知りだと思う。今から向かう町にそんなに詳しいなんて」
「いやいや旅人仲間に聞いただけだしそもそも今の情報はそんなに詳しいものでもないし!」
「しかも威張らない、ハルは偉いな」
「勘弁してくれ……」

ほんのちょっとな事で褒めちぎってくるカエデにハルは困惑していた。きっとカエデがハル以外の人間をあまり良く知らないからいちいちハルはすごいすごいと言ってくるのだ。ハルは誓った。カエデにはもっともっと色んな体験をさせて、変な事を言わないようにしてやろうと。

「カエデ、これからは俺がバシバシ色んな事教えていくから、覚悟しとけ」
「ハル……私に勉強まで教えてくれるなんて、何て優しい」
「それはもういいから!」

決意を新たに、さあ次の町へと意気込んだ時であった。

「そこのお二人さん、ちょっと待った」
「……あ?」

突然正面から呼び止められて、ハルとカエデは思わず足を止めていた。脇の茂みからガサガサと音を立てて目の前に立ちはだかったのは、一人の青年であった。
太陽の下で輝く金色の髪と、にやりと碧色に輝く瞳が特徴的ななかなか顔の整った男だった。その笑みに何となく嫌な予感がしたハルは、無意識に顔をしかめていた。確証は無いが、こちらを見て笑うその表情に良い感じがしなかったのだ。なのでハルは、少々ぶっきらぼうに話しかけた。

「何か用か、俺達は先を急いでいるんだが」
「ここね、この俺様の縄張りなんだよね。だからここ通るんなら通行料貰わないといけないんだけど」
「はあ?通行料?」

初耳である。ここを通る人は旅人問わず多いはずだが、それでもこの道で通行料を取られるなんて話は聞いた事が無い。そもそも「俺の縄張り」と言っている時点でこの男の独りよがりである事はほぼ決定している。ハルは呆れた目で男を見た。

「あのな、急いでるって言ったろ。お前に付き合ってる暇は無いんだ、そこを退いてくれ」
「あー俺様を怒らせてもいいのかなー?こう見えても俺様強いんだぜ?」
「はいはい。カエデ、行くぞ」
「何もお金取ろうって言ってんじゃないのよ。そうだなあ……そこのピンク髪の子が持ってた、あの綺麗な赤い玉でいいからさ、な?」
「?!」

激しく反応してから、ハルはしまったと思った。こんな反応、はい自分が持っていますと返事をしたも同然ではないか。それより何でこの男が宝珠の事を知っているのだろう。警戒心を露わにするハルの様子に、男はケラケラと笑った。

「何、俺様がどうして玉の事を知ってるんだって?そんなの昨日町の中で見かけたからに決まってるでしょ。駄目だなー君、そんなに大事な物なら、迂闊に外に出しちゃあねー」
「お前……何でこいつを欲しがってるんだ」

最早隠しても無駄だと、ハルは宝珠が入っている袋を庇いながら尋ねた。男は、何を当たり前の事をと言いたげな顔で指を立ててみせる。

「その玉が綺麗だから。俺様綺麗なものには目が無くてさあ。あっ玉が駄目ならそこのおねーさんでもいいけど?同じくらい綺麗だしねー」

男が指したのはカエデだった。カエデはハルの隣で油断なく構えるだけで、指をさされてもキョトンとしていた。男の言っている事があまり良く分かっていないようだ。世間に疎そうな所もかわいーだの何だの言いながら、男はちらっとハルを見る。

「正直言うとさ、俺様昨日君達を見かけた時すごく胸躍ったんだぜ?綺麗な黒髪とピンクの髪の二人組でさ、こりゃ美人二人ゲット出来るんじゃねーかってね。ところがよく見たら、片方は男だし!」
「……ああ?」
「しかもピンク色の方!気付いた瞬間俺様一人で吹き出して超不審人物だったんだから、っぷー!」

言いながらなおも吹き出す男に、ハルの額に青筋が浮かび上がる。この髪色がコンプレックスのハルは、こうやって髪色で弄られる事が何よりも嫌いなのだった。

「いやいや俺様も男だから確かに男よりは女だけどさ、美しいものであったら男でも女でも無機物でも称賛に値すると思うよ?うん。綺麗だよ、そのピンク色、いや本当」
「てめえ……喧嘩売ってんのか」

地を這うような声を出してハルが男を睨みつける。その瞬間、男の表情が奇妙に歪んで見えた。あえて言うなら、恍惚の表情?しかしそれも一瞬で、すぐに今までと同じ、人を小馬鹿にしたような笑みへと戻る。

「あ、売ったつもりはないけど買う?さっきも言ったけど、俺様強いよ?」

男が背中から取り出したのは、鞭であった。どうやらそれが男の武器らしい。対して武器のような類の物は持ち合わせていないハルは、怒りで頭がぐらぐらしながらも一歩後ずさった。こいつはむかつくし、先へも急ぎたいが、鞭を構える男は本人が言うように確かに油断が無く、ある程度強いと思わせる雰囲気である。ハルの武器と言えば逃げ足と絵を描く事ぐらいであるが、行く手をふさがれている上通行料として絵を渡してはいさようならという空気でもない。さて、どうする。
ハルが考えあぐねている間に、ハルと男の間に音も無く割り込む影があった。ハッと顔を上げれば、流れるような美しい黒髪が目に入った。カエデの背中であった。

「カエデ?!」
「ハル、この男と戦うのか?それなら私が戦う」
「ってお前思いっきり丸腰じゃねえか」
「武器が無いならこのまま戦う。大丈夫、私はハルを守るために存在しているのだから、ハルのために戦う事が私の使命だ」

ハルを庇うように男の前に立つカエデの身体からは、まるで目に見えるオーラのように闘志が沸き上がっているようだった。ハルすごいすごいと言ってばかりいた先ほどのカエデとはまったくの別人のようであった。ハルはこの時初めて、カエデに対して恐れのような気持ちを抱いた。
カエデが立ちはだかるとは思っていなかったらしい男は一瞬ぽかんと立ちつくすが、やがてハルを見てにやりと笑った。ハルの胸中がざわりと音を立てて騒ぎ出す。

「へー、君、女の子に守られる立場なんだ?へーふーんそっかーなるほどー」
「……何が言いたいんだよ」
「いやいや?納得しただけだよ?そっちの美しく勇ましい黒髪のおねーさんが守る役で、可憐な可愛らしいピンク色の髪の君が守られる役、と。いいねえ、髪色的にも」

ハルのこめかみがぴくりと疼く。口元はあらゆる衝動を抑え込んで痙攣していた。歯を食いしばってそれに耐えるハルに、とうとうトドメの一言が男から投げつけられる。

「強いて言うなら黒髪のナイトとピンクの髪のプリンセス?あーうんぴったりじゃん!ねえそう思わない?オ・ヒ・メ・サ・マ」

男がハルを見つめて笑った瞬間。ハルの頭の中で何かがブチンと大きな音を立てて、切れた。
おそらく二人が丸腰なのを見て油断していたのだろう、鞭を片手に愉快そうに笑う男は、そのままズカズカとハルが目の前に来るまで笑い続けていた。男が笑いを収めたのは、ハルが男の手から鞭をひったくった後であった。

「あははは……えっ?」
「誰が……誰がお姫様だコラァッ!」

バシッと強烈な音を立てて鞭はしなり、男を容赦無く打った。その痛さと驚きに思わず地面へ転がる男を、ハルが怒りに満ちた目で睨みつける。

「人が黙ってりゃ次々と馬鹿にしてくれやがって……そんなにこの髪色がおかしいか、ああ?」
「き、君、ちょっと落ち着こう、落ち着いて俺様と話し合……いてっ!」

何かを言いかけた男に再び鞭が振り下ろされる。ハルの瞳には物騒な光がちらついていた。鞭を握りしめる腕にそれを手放す気配は無い。男は、ハルがぶち切れている事を悟った。

「悪かったな、ピンク色の髪で!俺だって出来れば別な髪色で生まれて来たかったんだよ!」バシッ!
「ひいっ!」
「自分は金髪だからって調子に乗りやがって!自慢か?自慢したいがために俺の前に現れやがったのか?!」バシッ!
「ぎゃあっ!」
「ちくしょう!何で俺だけこんな髪色なんだよ!俺が何したって言うんだよ!」バシッ!
「おっお助けー!」

今までの色んな鬱憤を晴らすかのようにハルは鞭を唸らせ続けた。鞭が閃く度に辺りに響く痛々しい音と男の悲鳴。そんな地獄絵図のような見るに耐えがたい光景を、見ている事しか出来ないカエデは、

「ハル……初めて手にする武器をこんなに使いこなす事が出来るなんて、すごい……」

ハルにひたすら感心するだけであった。
結局誰も制止する者がいる事無く、肩で息をするハルの手が止まったのはそれからしばらく経った後であった。地面に転がる男はピクピクしている。

「はあはあ……。もう二度と、俺の前に姿を見せるんじゃねえぞ」

横たわる身体の上にぽいと鞭を放り投げ、ハルはやっと歩き出した。まだピクピクしている男を見下ろすカエデに呼びかける時も、男を見てはいなかった。

「カエデ、そこの物体は放っておいてさっさと先に行くぞ。早く来い」
「分かった」

ハルに呼ばれたら興味も未練も無くあっさりと男から離れハルの後ろをついていくカエデ。二人がそうやって歩き去る気配を感じながら、男はじっと横たわっていた。
まだ鞭の痛みが体中に残ったままで、男はゆっくりと目を閉じた。まるで余韻に浸るかのような仕草であった。

「ああ……」

息を吐いた男の脳裏には、さっきまでの衝撃と光景が蘇っていた。その記憶の中で男を見下ろすハルの瞳は、まさしくその辺のゴミを見下ろすよりも遥かに冷たい目であった。心の底から蔑んだ目だった。

「あの目……」

それを思い出しながら、男は。

「……っ良かった!最高!」

元気良く起き上がった。今までしこたま鞭で打たれていたとは思えないほどの軽やかな身のこなしだった。
身体をほぐすように少しだけ腕や足を動かした男は、すぐにハルとカエデが立ち去った方向を見つめる。その顔には、至福の笑みが広がっていた。

「俺様の事本気で嫌ってたあの目……たまらねえ。横の黒い綺麗な子も無表情ですっごくいじめてくれそうだし、さすが俺様が目をつけただけあるな。……おっと、こうしちゃいられない」

男は慌てて走り出した。足を向けた先はもちろん、ハルとカエデが向かった方向である。その表情と同じくご機嫌な足取りは思ったよりも早く、すぐに二人に追いつくだろう。

ハルは後ほど、早く気付くべきだったと後悔する事になる。
この男が、虐げられれば虐げられるほど喜んでしまう、いわゆるマゾヒストな人間だったのだ、と。

11/01/28



 |  |