そうしてハルは今、絶賛後悔中であった。

「お願い!俺様を一緒に連れてって!虐げてくれるだけでいいから!心から蔑んだ目で見てくれるだけでいいから!」
「来るな寄るな近づくな変態!カエデ、こいつには絶対触るなよ!変態がうつる!」
「そうその目!その目でもっと見て!」
「帰れー!」

あれだけ姿を見せるなと言ったのにあっさり後ろから追いついてきた金髪の男が、ハルとカエデに縋りついてきている所だった。ここが町の中や人通りの多い道でなくて良かったと、地面にひれ伏す男を見下ろしながら心からハルは思うのだった。

「くそ、変な奴だとは思ったがここまで変だとは……やっぱり無視してさっさと進めばよかった」
「ハル、この男は敵か?」
「いやただの変態だ。こういう奴は無視するに限るんだ、カエデ行くぞ」
「待って待って!君達について行きたい理由は個人的趣味の他にもちゃんとあるんだってば!」

歩き出したハルとカエデに慌てて男は立ちあがった。このままでは地平線の彼方までついてきそうな勢いなので、ハルは大きなため息をついて男を待ってやった。話ぐらいは聞いてやろうと思ったのだ。

「それで、その理由ってのは何だ」
「さっき俺様言ってたじゃない、君たちが持ってたあの赤い玉をちょうだいって」
「!てめえ……やっぱりこの玉が目当てなのか」
「宝珠を狙う敵か」

即座に反応するハルとカエデに、男は首と手を横に振ってみせる。

「いやいや、確かに俺様宝珠を探してるんだけど、その赤い奴じゃあ無いんだなあ」
「……は?」
「俺様が探している宝珠は黄色い奴なの。黄金の宝珠っていうんだけど」
「黄色って……宝珠とやらはこれ一個じゃないのか、複数あるのか?!」

ハルが問いかけるように見上げれば、カエデが一つ頷いた。知っていたなら教えてくれと思ったが、今はとりあえず目の前の男だ。少なくともこいつは、ハルよりも宝珠の知識を持っているようだった。構えていた身体を僅かに緩めて、ハルは男に向き直る。

「お、俺様とまともに話してくれる気になった?」
「その前に教えろ、どうしてこいつが宝珠だと分かったんだ?見た目はただの赤い玉だろ」

袋から緋の宝珠を取り出し、目の前に掲げる。確かに美しい玉ではあるが、ハルの目にはただそれだけの物体にしか見えない。守護騎士と名乗る変な女が現れたり放り投げても勝手に手元に戻ってきたりするような不思議玉には到底見えないのだ。それなのに何故、町中で見かけたというだけのこの男が宝珠だと分かったのだろうか。
男はハルの様子にくすりと笑ってみせた。どうもこの男が笑うと、その表情のせいか小馬鹿にされているような気分になってくる。

「やだなあヒメったら、俺様の美しいものを見分ける眼力を疑う気?こんな魅力にあふれている宝珠を一発で見抜く事ぐらい朝飯前なんだぜ?」
「てめえがそんな能力を持ってる事なんて知らねえし俺にはただの玉にしか見えねえしそもそもてめえが嘘くさい。後ヒメとか呼ぶなブチ倒すぞ」
「えっまたやってくれんの?」
「鞭を差し出してくんな!」

手渡そうとしてきた鞭を叩き落とし、ハルは悩んだ。今は宝珠の事について少しでも情報が欲しいが、だからと言ってこんな奴に関わっていいものだろうか、と。カエデは全てをハルに委ねているらしく、男がこちらに危害を加えないか注意深く眺めているだけだ。ただまあ警戒してくれているのは助かる、それぐらい男は得体のしれない奴だからだ。
いっその事本当に倒していこうかとハルが難しい顔で悩んでいると、残念そうに鞭を拾い上げた男がそれをしまいながら話しかけてきた。

「なんつって偉そうな事言ってるけど、実は俺様も宝珠の事について特に詳しい訳じゃないんだよね、不思議な力を持った美しい魅力的な玉ってぐらいで」
「……そうなのか」
「いやあ、今探してる黄金の宝珠は我が家の家宝だったんだけど、親戚の一人が持ち逃げしちゃってさあ。それを追いかけるのと同時に、宝珠とは一体何なのかを俺様も個人的に調べようって思って」
「親戚が持ち逃げって……お前も何気に苦労してるのか」

ハルが少し男に同情的になった。人騒がせな身内を持つ苦労が少しでも分かってしまうからだった。ハルから少し警戒が取れた事を感じとったのか、男もこれ幸いと大きくうなずく。

「そうそう。んで!俺様なんと、宝珠に関する重要な情報を先日手に入れた訳だ!」
「ふーんそうか……って何っ?!」
「どう?どう?聞きたい?」

キラキラと瞳を輝かせる男に、とっさに断ろうとするのをすんでの所で思い留まる。逃げるにしても関わるにしても、これは是非聞いておきたい情報だ。

「……聞きたい」
「そうこなくっちゃ!実はこの先の町に、宝珠に詳しい魔法使いが住んでいるらしいんだよね」
「魔法使い?なるほどな……」

さっきハルがカエデに説明したように、この辺りは古い町や遺跡が多い地域だ、魔法使いだって研究や実験のために住んでいても不思議ではない。ましてや緋の宝珠を拾ったのはすぐそこにある遺跡なのだ、それを調べている人がこの辺に集まっている事はむしろ自然の事のように思える。
納得するハルに、男は無駄に胸を逸らしてみせた。

「その魔法使いに会いに行けばきっと宝珠の事なんて一瞬のうちに分かるって事よ!どう?俺様の情報ためになったでしょ」
「ああ、うん、確かに朗報だが、お前自身は宝珠についてのはっきりとした情報は手に入れてないって事だな」
「うっ……ま、まあ、そうとも言うかな」
「ったく。しかしこれで、次の目標がはっきりと決まったな」

目を逸らす男を問い詰める事無く、ハルは次に目指す方向へ顔を向けた。誰かに聞くという漠然とした目的が、明確となったのだ。情報源が変態という所が限りなく不安ではあるが、そこはもう実際に行ってみるしかない。

「じゃあ、その魔法使いとやらの名前と居場所を教えろ」
「えっ?」
「……は?」

当然の事を聞いたハルに、男が目を丸くするのでハルも驚いた。そのまま時が止まったように、しばらくそのまま見つめ合う。というか睨みつける。

「いや、だから魔法使いの名前と居場所をだな」
「何で?」
「何でって……」
「今言っても分かりにくいでしょー。実際に町についてから俺様がばっちり案内してあげるから、ヒメとカエデちゃんは俺様の後を安心してついてきてちょうだい!」
「はあっ?!いつ俺たちがお前と行くなんて話になった!後ヒメって呼ぶなぶっ飛ばすぞ!」

ハルが全力で抗議の声を上げるが、男は余裕たっぷりの表情でふーんと呟く。

「じゃあ居場所教えてあげない」
「ぐ……、じゃ、じゃあ、自力で次の町で探すから、いらねえ!」
「そもそも俺様自身も元々その魔法使いに会いに行く予定だったんだから、目的地同じなんだよね。つまり、例えそっちがどれだけ嫌がっても道中は俺様と何したって一緒って事さー!」
「なっ何だと?!」

衝撃の事実にハルが絶句する。確かに辿り着く場所が同じで、そこに行き着くまでの道がひとつしかないのならば、辿る道筋は一緒になるものだ。絶望と敗北感の狭間で声も出ないでいると、勝ち誇った顔で男がぽんと肩を叩いてくる。

「そんなわけで、よろしくね、ヒメ」
「うぐぐ……」

ひとつだけ呻いた後、ハルは全てを諦めた表情で、ため息をついた。そしてゆっくりと肩に乗っていた男の手を退け、

「ヒメ呼ぶなっつってんだろうがー!」
「ぐふうっ!」

心の内の悔しさを吐き出すかの如く勢いで男の腹に拳を叩き込んだ。男はそのままばったりと地面に倒れるが、ハルは格闘経験も無いし特に力が馬鹿強い人間ではない。それほどダメージは食らってないんだろうなと思っていれば、すぐに復活して起き上がってきた。いくらなんでも早い。

「あー効いたわー俺様の腹にクリティカルヒットしたわーヒメってばSの才能あるんじゃない?」
「そんなもんねえよ!」
「いやしかし、ヒメって呼んだ時のあの嫌悪感丸出しの目と容赦ない攻撃、しびれるねー!これからもヒメって呼んだら見下してくれる?」
「……もういい、好きにしろ」

ハルは悟った。こいつは、こちらが反応すれば反応するだけ喜ぶのだと。奴を喜ばせない唯一の方法は、相手にしない事なのだと。
ハルが肩を落としていれば、決着がついた事に気付いたカエデがハルと男を交互に見てくる。

「ハル、この男と一緒に行くのか」
「そうだよカエデちゃんよろしく!あっそういや俺様自己紹介してなかったな」

聞かれてもいないのに、男はくるりとターンして、ビシッと決めポーズをとって見せてから、言った。

「俺様は世界中の美しいものを心から愛する流離の美の貴公子、ヘリアンサス。よろしくっ」
「はあ?ヘリアンサス?」

聞こえてきた大層な名前にハルは思わず振り返った。そしてよろしくと両手を広げる男を眺め回してから、

「妙な長さで面倒くさいし無駄にむかつく、お前なんかヘリオで十分だろ」
「えーっ!ヒメさすがにその略し方は腹減り男みたいでかっこ悪いっていうか」
「よろしく、ヘリオ」
「カエデちゃんまでーっ!何これいじめ?俺様いじめ?かっ、快感っ!」

身もだえる男改めヘリオと、それを無感動な瞳で見つめるカエデ。二人を視界に入れながら、ハルは袋の中に入る宝珠を八つ当たりするかのように力いっぱい握りしめた。いくら握りしめても、不思議な力を持つという宝珠は何も答えてはくれないが。
今俺がこんな状況になっているのは全部お前のせいだ!と心の中で叫んでから、一息ついたハルは踵を返した。背後では二人がまだモダモダやっているようだった。

「おい、さっさと行くぞ!次の町までそんなに離れていないのに、このままじゃ日が暮れる!」
「あっ待ってヒメもう少し堪能させて……」
「!ハル!」

思いがけない鋭い声が飛ぶ。え、と辺りを見渡す、暇がハルには無かった。ハルが見る事ができたのは、真横から自分へと飛んできた影だけだった。唯一反応出来たハルの脳だけが、この影に自分がぶち当たると認識する。ハルがその一瞬で出来た事は、それだけだった。それを認識して実際に行動に移したのは、ハルではなかった。
最初ハルは黒い風だと思った。それぐらいの勢いでハルと影の間に割って入り、そしてハルを庇いながら影に一撃を浴びせ、退けた風。それは、カエデだった。その長く細い足から繰り出された蹴りは、影を何mも後ろに吹っ飛ばすぐらい重いものだった。

「か、カエデ!」
「ハル、動かないで。まだいる」
「へっ?」

カエデに動きを制止されて、ハルはその場に突っ立ったままきょろきょろと辺りを見回した。パッと見た感じでは、先ほどと変わらない森の中の道であったが、横から茂みが揺れる音が聞こえてそちらに目をやれば……。
こちらを睨みつける、四本足の小型の魔物であった。見た目は犬に似ているが、その目つきはわんこのそれとは遠くかけ離れている。ハル達を獲物として狙っている目であった。それが、茂みから現れたのが二匹とカエデに飛ばされて転がっているのが一匹、合計三匹。ハルは悲鳴を上げた。

「なっ何で魔物がこんな所にっ?!」
「あー最近この辺魔物の出現が多発しているから気をつけた方が良いよって、昨日俺様町の人に言われたぜ」
「そういう事は早く言っとけ!くそ……何とか逃げられないか」
「大丈夫、ハル」
「……え?」

慌てるハルに、振り返ったカエデが安心させるように頷く。カエデは一匹を蹴飛ばし身構えたまま、残りの二匹を見据え。

「私が、ハルを守るから」

ハルが声を上げる間もなく、カエデはその場から駆け出していた。黒く長い髪を靡かせながら駆けたカエデは、一瞬のうちにこちらへ飛びかかろうとしていた魔物へと接近した。そしてそのまま一匹の首根っこを掴むと、何と片手で魔物を持ち上げてみせた。いくら小型の魔物とはいえ、女の子一人が片手で持てるような重さではないはずだ。そこでハルは、カエデが普通の女ではない事を思い出した。
片割れが人間の手によって持ち上げられて、もう一匹は驚きに飛びのいた。しかしその動きを読んでいたように、カエデは腕を振りかぶる。もちろん、魔物の首根っこを掴んでいる方の手だ。魔物を振りかぶったカエデは、そのまま勢いをつけて、魔物を魔物に投げつけた。

「ギャインッ!」

悲痛な叫び声をあげながら、二匹の魔物は投げつけられた勢いのまま、蹴られてピクピクしていたもう一匹へと再びぶつかった。三匹揉み合いながら地面の上をしばらく転がり、やがてハルが立っている位置からは豆粒ほどにしか見えない距離を飛ばされ、止まったようだった。三つの豆粒は今の一撃でカエデの力に怖気づいたようで、こちらに戻ってくる事無く森の中へと消えていった。
それを見届けてから、ようやくカエデは身構えていた身体から力を抜き、ハルの元へやってきた。

「ハル、大丈夫か、怪我はしていないか」
「ああ、いや、お前のお陰で攻撃ひとつも受けてねえし」
「そうか、よかった」

カエデはハルの様子を見てホッと息をつく。カエデが守護騎士だという事は聞いていた。守るのが使命だと本人も散々言っていた。それなのにハルは今まで、その言葉を本気に取ってはいなかったようだ。ハルは自分が心から驚いている事に気付いた。驚いている事に気がつかないほど、あっけに取られていたらしい。
この、世間知らずの普段はぽやっとしている女が、これほど強いとは。

「お前素手のくせに、めちゃくちゃ強かったんだな……」
「ある程度強くないと、ハルの事を守れないから。でも確かにこの身体では……武器のようなものがあれば、もっと戦う事が出来るのに」
「この身体?」

カエデの言葉に違和感を覚えるハルだったが、後ろから飛び出してきた人物のせいで深く考える事が出来なかった。今までハルと同じようにポカンと突っ立ったままだった、変に盛り上がってるヘリオだった。

「か、カエデちゃんそんなに強かったんだ!すごい!今からカエデ様って呼んでいい?!」
「ハル、いいか?」
「何で俺に聞くんだよ!呼び方なんて勝手にしろ!」
「わーい!カエデ様、さっそく俺様の事蹴っていいよ!むしろ蹴って下さい!」
「それは駄目だ変態がうつる!」

本当に蹴り出さないうちにハルはカエデを引っ張って歩き始めた。ここでもたもたしていれば、また先ほどのように魔物に襲われてしまうかもしれない。ケチーとか何とか言いながらもヘリオも後からついてきているようだ。引き離そうと思っても、絶対にどこまでもついてくるに違いない。ハルは諦めていた。
大きなため息をついてから、ちらとカエデの腕を引っ張る右手を見る。
握りしめた腕は、思ったよりも細かった。

11/01/30



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