「ああ、町はずれに少し前から越してきた魔法使いの事かい?いつの間にか家を建てて暮らし始めたんだけど、めったに家から出てこないから誰も詳しい事は知らないんだよ。確かに宝珠とかいう不思議な玉の事を調べているって話だけは聞いた事あるね。町から出て少し行けばすぐに見えると思うよ、目立つ家だから」

ようやく辿り着いた町で店のおじさんにこう聞かされ、試しに町の外に出てみたハルたちはおじさんの言葉が正しかったとすぐに理解する事が出来た。町の傍にある草の生い茂った小高い丘の上に、妙に細長い建物がドンと建っていたのだ。下手をすれば町の中からでも見えるかもしれない、それぐらい奇妙に上へ伸びた家であった。これが噂の魔法使いの家で間違いないだろう。
いかにも怪しいその家の前に立ち、感心するように眺めていたカエデがハルを見た。

「ハル、どうしてこの建物だけこんなに細長いんだ。今まで見たどの家もここまで細長くはなかったのに」
「さあな……その魔法使いさんの趣味じゃないか?」
「へえーっこれって何階建てなんだろうなー、俺様こういう独創的な建物嫌いじゃないんだよね」

興味深げにべたべたと家の壁を触るヘリオは放っておいて、扉の前に立ったハルはしばし無言で立ち尽くした。そんなハルの背中に、カエデが首を傾げる。

「どうしたんだ、ハル」
「いや、今更だけどこの家の主が魔法使いだって思ったら、何か怖くなって……。これ開けたら目の前に魔法陣が広がって飲み込まれるんじゃないかとか、侵入者撃退用の召喚獣が飛び出してきて頭から食われるんじゃないかとか、そんな事を考えたらな……」

残念ながら魔法使いの知り合いが今までいなかったハルの頭の中では、魔法使いという生き物がものすごく恐ろしいイメージで固まっているのだった。得体の知れない魔法を操る能力を持つ人間なのだから、会ったら何をされるか分からないではないか。そう思ってしまうからこそ、ハルは目の前の家のドアを叩く事が出来ないのである。
そんなハルの様子を見て、ヘリオが愉快そうに笑った。

「ヒメってばビビりだねえ。そこはむしろどんな魔法が来て攻めてくれるのか楽しみになる所じゃない」
「それはてめえだけだ!」
「大丈夫だハル、どんな魔法が来ても、ハルの事は私が守るから」
「………」

おそらくカエデは励ましてくれているのだろうが、残念ながら女の子に私が守るからと励まされても自分の不甲斐なさに悲しくなるだけだった。しかし背中を押してくれたことは事実だ。ハルは深呼吸してから、ノックをするべく右腕を掲げた。

「そういや魔法使いってどんな人何だろう?やっぱり怖いじいさんばあさんかな、それとも黒いフード被って素顔が見えない怪しい姿かも!いやードキドキするねーヒメー!」
「黙っとけっつーの!」

わざとビビらせるような事を言うヘリオに負けずに、とうとうハルは木でできたドアを叩いた。最初は軽く二回、しばらく反応が無いのを見てからもう少し大きく二回。

「留守、じゃないよな、めったに家から出てこないって言ってたし」

返事を待つ間、ハルの心臓は大きな音を立てて脈打っていた。

「魔法使いとは年寄りの姿をしているものなのか」
「一般的な怖ーい魔法使いはそんな感じで書かれたりする事が多いよ、まあ俺様的にはカエデ様みたいなミステリアスな美人が出てきてくれたりすると嬉しいんだけど」
「さすがにカエデが二人はいらねえ……ていうか黙っとけって言っただろ!」

こっちは緊張しているのに呑気に雑談し始める背後にハルが怒鳴っていれば、家の中から物音が聞こえた。明らかにハルのノックに何者かが反応した物音だ。留守ではなかったらしい。とっさに全員で口を噤んでいれば、物音以外の音が聞こえた。声だった。

「誰じゃ。少し待っておれ、今開ける」

中から聞こえてきたのは、想像通り年寄りの言葉遣いであった。しかしハルは声を聞いて驚いていた。その声が、言葉遣いに対して若く聞こえたのだ。いや若いというものではない、ヘリオより、カエデより、ハルよりも遥かに下の歳の……そう、子どもの声だったような。
戸惑うハルの目の前で、木製のドアはゆっくりと音を立てて開かれた。どんな人物が出てくるのか、覚悟して目を見開いていたハルの目の前に、先ほどの声の主は……見えなかった。開かれたドアから見えるのは、どことなく薄暗い室内だけだった。
誰も、いない?

「……あれ?」

確かに声がしたのにととっさに背後を振り返ってみれば、カエデとヘリオの視線はハルが見ていた先の遥か下にあった。カエデはいつもと同じ無表情のまま、ヘリオは驚いたように目を丸くして、最早ハルの足元にあたる何かを一心に凝視している。さっきの妙に幼い声の事も相まってかなり嫌な予感がしていたが、ハルは思い切って自らの足元へと向き直った。
そうして最初に見えたのは、ふわふわの白い何かだった。

「何者じゃ。わしに何の用があってここに来た」

ポカンと立ちつくすハルを、不思議な金色の瞳が見上げる。そこでようやく、ハルは目の前にある白いふわふわが人の頭である事に気付いた。そこにいたのは、ふわふわな白い髪と強い光を湛える金の瞳を持つ、小さな子どもだった。
じっと仏頂面でこちらを見上げ続ける子どもに、ハルは自分が何を言うべきか分からなくなってしまった。だって、怖い魔法使いが出てくるかもしれないと思っていたら、そんなイメージとは程遠いまるで天使のような小さな子どもが出てきたのだ。戸惑うなと言う方が無理がある。ハルは焦った。

「え、ええーっと、ここは魔法使いが住んでる家だって聞いてきたんだけど」
「そうじゃが」

子どもはハルの言葉に読みかけらしき分厚い本を手に持ちながら頷く。ここで唐突にハルはピンと来た。そうだ、この子どもはきっとこの家の主である魔法使いの、兄弟か子どもか孫か、とりあえず関係者なのではないかと。それなら魔法使いの家に子どもがいたって何もおかしくはない。この古めかしい口調もその魔法使いの口癖がうつってしまったのかなと思えば微笑ましいではないか。
一人で閃いて一人で納得したハルは、途端に安心して子どもを覗きこんだ。魔法使いに言われて来訪者を出迎える手伝いをしているのかもしれない、うん可愛らしい。

「その魔法使いは今家にいるか?それともどこかに出かけていて、留守番中とか?」
「魔法使いとはわしの事だ」
「あ、何だお前だったのかーはははーってお前かよおおお!」

せっかく必死に自分で納得できるような理由を考えたのに、子どもは一瞬でそれをブチ壊してしまった。しかし、簡単に信じられるような話ではない。だって目の前にいるのは、どう見たって五歳ぐらいの子どもなのだから。

「じょ、冗談だよな?」
「何故わしがここで冗談を言わねばならん」
「あ!分かった!」

後ろでハルと同じぐらいぽかんとしていたヘリオが手を打ってから子どもを指差した。ちなみにカエデはずっと変わらない表情でこちらの様子を眺めている。きっとハルとヘリオがどうして驚いているのかも分かっていないに違いない。

「その姿は仮の姿なんだ!」
「か、仮の姿?!」
「だって魔法使いでしょ?魔法使いだったら自分の姿を変える事ぐらい出来そうじゃん」
「……自分で姿を変えられたらどんなに良かった事か」

ぽつりと呟いた子どもは、踵を返して家の中に戻ろうとした。それを見たハルは慌てて閉められそうになったドアに取り付く。

「ちょっ、待ってくれよ!」
「帰れ。お主ら人間の戯言にいつまでも付き合っているほどわしは暇ではないんじゃ」
「あんただってその人間だろうが!」
「わしは違う、魔法使いじゃ」
「だからどう違うんだよ……おい待ってくれって!」

子どもはこちらに見向きもせずにドアを閉めようとする。この子どもが実際に噂の魔法使いかどうなのかは置いといて、少なくともここで引き下がったら手掛かりがゼロに戻ってしまう。それだけは何としても避けたかった。

「頼む、少しでいいから話を聞いてくれ!これからのために宝珠の事を知っておきたいんだ」
「……何、宝珠じゃと?」

ドアが閉められようとする力が弱まった。子どもは振り返り、ハルの事を窺うような目で見つめてくる。興味を示してくれたらしい。

「ああ、実はこの近くの森の中で変な玉を拾ってしまったんだけど、それがどうやら緋の宝珠っていう代物らしいんだ。捨てようとしても捨てられねえし、どんなものかもさっぱり分からないもんだから、宝珠の事を調べてるって聞いてあんたを訪ねてきたんだ。宝珠について、教えてくれないか?あんたがその成りで本当に、噂の魔法使い本人ならな」

チャンスとばかりにハルは一息で説明した。ハルの話をじっと聞いていた子どもは、ゆっくりとハルに向き直ってくる。ハルと、後ろのカエデとヘリオを仏頂面のまま順番に眺めた子どもは、再びハルに視線を戻した。

「その宝珠を見せてみろ」
「……これだ」

一瞬だけ躊躇ってから、ハルは袋から宝珠を取り出した。変わらず赤い光を湛える丸い玉を、子どもは穴が開くぐらい凝視した。そうやって気が済むまで眺めまわした後、ひとつだけため息をついた。

「わしがどれだけ探しても見つからなかったものを、ただの人間がこうも容易く見つけてみせるとはな」
「探していた?」
「左様。これは確かに緋の宝珠のようじゃ。この近くに隠されているという情報を手に入れ、わざわざ越してきたんじゃが……先に取られてしまうとはのう」

子どもは恨みがましそうにじとりとハルを睨みつけてきた。しかし言葉がいくら年寄りめいたものでも、その顔はぷくぷくとした子どものそれなので全然怖くは無い。

「お主、どんな大魔法を使ったんじゃ。ふざけた頭の色をしているくせに油断も隙もない」
「いや俺魔法なんて使えない普通の人間だし、ってふざけたとか言うな!地毛で悪かったな!」
「ほう、地毛じゃったのか。人生に随分と苦労していると見た」
「余計なお世話だ……」

どこか同情めいた視線を向けてくる子どもに、がっくりとハルは肩を落とす。言われなくても、ずっと昔から苦労してきているのだ。死ぬほどからかわれてきたが、同じぐらい同情だって貰っている。羨ましいぐらいふわふわ巻き毛の真っ白な髪を持った子どもに同情されたって全然嬉しくないのである。
ハルが項垂れている間に、子どもは再び家の中のほうへと身体を向けてしまった。慌ててハルは顔を上げたが、目の前でドアは閉められることなく開いており、金色の目がじっとこちらを見つめていた。

「何をしておる、ボーっとしておらんで、早く来い」
「は……えっ?」
「その宝珠の事を詳しく話してもらおう。ついでにわしの知っている事を話して聞かせてやらん事もない」

そう言ってさっさと子どもは中へと入っていってしまう。必死に食いついたのは確かに自分だが、こうもあっさりと許しを得るとは思っていなかった。思わずあっけに取られるハルだったが、この又とない機会を逃さぬように慌てて首を振って己を我に返らせた。どんな話が待っているかは分からないが、考えるのは全てを話し、そして聞いてからだ。
開け放たれたドアから家の中をそっと覗きながら、ハルは後ろに控える二人に声をかけた。

「お前ら、中に入るぞ。相手は子どもだけど油断するなよ、あれでも一応魔法使い、らしいんだからな」
「ヒメ……」
「何だよヘリオ、今更んな情けない声出して……」
「ちょっと、ずるくない?」
「はあ?」

いきなり訳が分からない事を言い出したヘリオにハルが振り返れば、そこにはぷくっと膨れるふくれっ面があった。一瞬でその頬を殴ってしまいたいような衝動に駆られながらも、ハルは何とかそれに耐える事が出来た。男のふくれっ面というものがこんなにもムカつくものだとは。

「何がずるいって?」
「ヒメの対応があのチビと俺様と比べて全然違うと思う!俺様がヒメの髪色馬鹿にした時はあんなに気持ち良くなるぐらい怒ってたのに、今はそんなに怒った様子じゃないし!何で?!」
「気持ち良い言うな気持ち悪い。それはお前、決まってるだろ」

怒られて喜んでいたくせにぶーぶー文句を言うヘリオに、ハルは指を突きつけてやった。

「お前の方が素でムカつく」
「がーん!」
「それに俺は子どもが嫌いじゃないし、慣れてるからな。子どもに多少馬鹿にされても生意気だとしか思わないんだよ」
「えっヒメってもしかしてロリコ……ぎゃーっ!」

今度こそ拳をその脇腹に叩きこんでから、ハルは妙に細長い家を見上げた。中ではあの魔法使いと名乗る子どもが待ち構えているだろう。静かに唾を飲み込んだハルは、無言で付き従うカエデに一度だけ振り返った。

「行くぞカエデ。一応何が起きても良いように覚悟しておけ」
「大丈夫、ハルには指一本触れさせない」
「俺はいいから自分の身守れっての……まあいい、入るぞ」
「どんな魔法が飛び出してくるか楽しみだねえ、ふへへ」

魔法使いの家という未知の場所に入り込む緊張と宝珠の謎がとうとう明かされる事に高揚する心で顔を強張らせるハル、いつもの無表情でしかし隙のない眼光で様子を窺うカエデ、ダメージからすぐに復活してワクワクしているヘリオ。三人はとうとう、薄暗い魔法使いの家の中へと足を踏み入れるのだった。

11/02/06



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