「ハクトさん!ハクトさん聞いてくれ!」
「何じゃハム、お主は下がっておれと言ったはずじゃぞ」

ハルが呼びかければ、うっとおしそうにしながらもハクトは振り返ってくれた。そんなハクトの後ろに移動してから、ハルは手に持っていた画材を突きつけた。

「俺は今、絵に描いたものを魔法で出せるんだよな!」
「さっき自分でやったじゃろう。ボケるにはちと早いぞハム」
「ボケてるんじゃねえ真剣だ、つまり俺がこの画用紙に無機物を描いたとしても、それが現れると思っていいんだよな?例えば、武器とか!」
「武器、じゃと?」

ハクトはハルの言葉に少しだけ目を丸くした。筆と画用紙を手に持って何かを期待するように見つめてくるハルに、少しの間考え込む。その間にも、カエデはまるでこちらの会話を邪魔しないように魔物の注意を自分に向けて戦ってくれているようだった。ハルの心がどんどんと焦り出す間に、ハクトの思案は終わった。

「正直、難しいじゃろうな。固形をこの場に召喚するとなると、それだけ強いイメージを持って描き出さねばならぬ。ましてや実物が目の前に無い、想像で描かねばならない今ではかなり困難だと言える。だが」
「だ、だが?」
「試してみる価値は、あるじゃろう」
「その返事を待ってた!」

ハクトの言葉を聞いたハルはさっそくその場に座り込んで、真っ白い画用紙の上に筆を落としていた。そんなハルの手元を覗きこみにハクトも近づいてくる。それも全てカエデがこちらを守ってくれているから出来る事であった。ハルの腕に、自然と力が籠る。

「どうやらすでに何を描くか決まっておるようじゃな」
「ああ、俺が一番記憶に残っていて、はっきり思い出せる武器はこれぐらいなんだ」
「ほう」

水が無いので少し描きづらい、と思っていた所にハクトが本を開き、そこに水を出現させてくれた。便利すぎるハクトの魔法に驚きつつも有難く使わせてもらって、ハルは一心不乱に筆を走らせた。頭の中に残っていた、幼少期から見ていたあの武器を鮮明に思い出しながら。脳内に浮かぶそれをそのままの姿で目の前の紙の上に移し描く。ハクトはそんなハルの様子を見守りながらも、カエデと魔物の方も注視していた。カエデは魔物の攻撃を受け止め、避け、受け流しながらも決してこちらに近づけさせない。その細い身体には魔物の攻撃が掠ったダメージが刻一刻と積み重なっているはずであった。カエデが力尽きるのが先か、ハルの一か八かの魔法が成功するのが先か、ハクトは見極めていた。
ハルとカエデ、しばらく交互に見つめていたハクトが、やがてふっと笑うように目を閉じた。そう、ハクトはどちらが早いか、分かったからこそ安心して目を閉じたのだった。
かくして、ハルの手は止まった。懸命に紙に押しつけられた筆を手に、静かに呟く。

「……出来た」

ハルが呟くのを待っていたかのように、その絵は確かに光り輝いた。思わずハルが画用紙を顔面から離した直後、スラリとそれは絵の中から姿を現した。さっき初めて出した火の玉よりもゆっくりと、しかしどこか優雅に空中へ躍り出た。おそるおそる手を伸ばしたハルが目の前の柄を握ると、確かな硬い質感を掌で感じる事が出来た。画用紙のようにペラペラではなく、絵の具のようにべとべとでもなく、確かにそれは物体としてハルの手の中に出現していた。

「成功か」

ハクトがまるで褒めるように瞬きをした。ハルが描いたもの、それは、一本の刀であった。ただしその色は本物の刀ではない証拠のように、赤一色であった。当たり前だ、ハルがとりあえず手に持った絵の具を一本だけ使って描いたものなのだから。赤い刀はその色のせいで一見ただのおもちゃのようにも見えるが、刃の部分を触ってみれば確かな感触を感じる。ほぼ呆然と自分が描いた武器をながめていたハルは、大きな音に顔を跳ねあげた。魔物の腕が地面を抉った音だった。

「ハム、お主の力ではおそらくそんなに持続力はないぞ、早く!」
「お、おお!」

ハルは立ち上がった。手に持った刀を一度だけ見つめてから、大きく振りかぶる。魔物は腕を思いっきり空ぶったせいで体勢を崩している、今がチャンスだ。
それを投げる直前、ハルは声を上げた。

「カエデ!」
「ハル?」
「武器だ、受け取れっ!」

振り返ったカエデに、ハルは刀を放り投げた。鞘を描いてはいないので刃がむき出しの危険な状態のまま投げつけたが、不思議とハルは大丈夫だと感じていた。刃を出したまま刃物を投げるなんて危ないからと今までのハルならば絶対にやらなかったはずだが、今のハルはそれでもカエデなら平気だろうと思ったのだ。きっとそれは、相手がカエデだったからこその考えなのだろう。
ハルの期待通り、カエデは投げつけられた刀の柄を掴み、無事に受け取った。そのまま刀を掲げたまま不思議そうにそれを見つめるカエデの姿に、ハルは初めて不安を抱いた。

「そういや何も考えずに刀を描いて渡したが、カエデは刀の使い方を知っているのか?」
「さてな。今の姿が初めてのものならば、知らぬ可能性の方が高いじゃろう」
「うわー俺の馬鹿ー!カエデに聞いてから描けば良かった!」

ハルは頭を抱えた。せっかく武器が完成してもそれを使えなければ意味は無い。ハルは自分の頑張りは無駄であったと感じた。
しかしカエデは刀を一度確かめる様にブンと振り下ろすと、ハルを見て力強く頷いた。

「ハル、大丈夫。私はこれを知ってる」
「えっ?」
「だから、使える」

カエデは魔物へと向き直り、真っ赤な刀を構えた。その姿をハルはどこかで見た気がした。きっと幼少期、刀を見せて貰った時、その人はこんな構えをしていたのだろう。刀を使う時の構えだった。カエデが刀の使い方を正しく知っている証拠だった。
魔物は体勢を立て直し、カエデに振りかぶってきていた。カエデは振り下ろされた腕を軽い動作で避け、飛び上がった。ちょうど横に落ちてきた太い腕を踏み台にし、ハルには信じられない高さまで跳躍し、刀を頭上に振り上げる。カエデはそのまま刀を、魔物の肩に振り下ろし、切り裂いた。
醜い声が辺りに響く。魔物の悲鳴だった。切り裂いた部分からは今まで見た事が無いような色の液体が流れ出る。今までどんな打撃や魔法を食らってもびくともしていなかった魔物が今、確実に傷ついていた。

「ようやった。これでいける」

ハクトの声が楽しげに響いた。慌ててハルが隣を見れば、ハクトの手にしていた本から激しい閃光が音を立てて飛び出した瞬間であった。あの奇妙に細長い家の中でヘリオが食らっていた何倍も大きな稲妻が真っ直ぐ魔物へ、いや魔物についた傷へ直撃する。魔物の身体が内側から激しく光った。動きを止めた魔物の、その隙をカエデは逃さなかった。

「っはあ!」

鋭い声で気合を入れ、カエデの持つ刀が魔物の胴体を薙いだ。そこにもすかさずハクトの魔法が飛び込んでいく。連続で食らった強力な攻撃に、魔物は一際大きな声を上げて、そしてそれだけだった。ぐらりと傾いた大きな身体は、反撃することすら出来ずに、地面を揺らしながら倒れた。そこから魔物が起き上がる事はもう、二度となかった。
思わずあっけないとハルが思ってしまったほど、戦いはあっという間に終わった。カエデが刀を構えていた体勢をゆっくりと解いたのを見て、ハルはようやくそれを実感できた。持ったままだった画用紙を放り投げて、ハルはハクトと共にカエデへと駆け寄った。

「カエデ、無事か?!まさか本当にあんな魔物を倒す事が出来るなんてなあ!」
「うむ、正直どうなる事かと思ったが、よくやったのう」
「さっすがカエデ様!刀を操る様のこの世のものとも思えない美しい姿!最高!やっぱ美女に刀は似合うよねえ!」
「ハル、ハルは大丈夫?怪我はしなかった?」
「お前心配してるのは俺の方だってのに……俺はこの通り何ともないよ、ってそうだ!」

ハルは思い出した。何故これほどまでに魔物を倒さなければならないと思っていたのか。魔物を倒し、先に待っているものを助けなければならなかったからだ。魔物を倒した今、それがようやく叶えられるのだ。

「こんな事してる場合じゃない、ヘリオだ!ぶっ飛ばされたヘリオを助けてやらなきゃ!」
「ヒメってば俺様の事そんなに心配してくれてたの?嬉しいなあ愛を感じるねえ」
「愛は一切無いが一応助けてやらなきゃだろ……っているしー?!」

驚きに跳ねるハルの目の前には、嬉し泣き真似をするヘリオがぴんぴんした姿で立っていた。とても魔物からの重い一撃を受けてものすごい勢いで殴り飛ばされた者とは思えない姿だ。これにはハクトも驚いたように目をぱちくりさせた。

「まさかさっきの攻撃でくたばった幽霊ではあるまいな」
「何だとこのチビ、この生命溢るる俺様の雄々しき姿を見て幽霊だなどと!まあ美人薄命って言うし疑いたくなる気持ちは分かるけど」
「そのうんざりするぐらいの世迷い言、確かにヘリオだな……。いつからいたんだよ」
「カエデ様に駆け寄る感動的な場面からすでにいたよ?ねっカエデ様!」

同意を求めるヘリオだったが、カエデはハルが怪我をしていないかとそればかりが心配のようで、しきりにハルの全身を眺めるだけであった。そんなカエデを大丈夫だからと何とか押しのけ、ハルはヘリオを睨みつけた。

「お前なあ、あれだけ綺麗に吹っ飛ばされてたのは何なんだよ!俺がどれだけ心配したと思ってやがる!」
「ヒメは本当に優しいねえ。心配ご無用!俺様前にも言ったでしょー」
「ああ?」
「俺様、人よりかなり丈夫だってさ!」

えっへんと胸を張る、その頭を張り倒したい。呆れる様に大きなため息を吐いたハルは、自分の身体からいきなり力が抜けていく奇妙な感覚を味わった。

「あ、あれ?」
「ハル!」

よろけるハルの身体をとっさに支えるためにカエデが伸ばした腕から、同時に真っ赤な刀も跡形も無く消えてしまった。倒れるとまではいかなかったので、一度カエデの腕につかまったハルはすぐに自分の足で踏ん張った。これ以上カエデに頼り切ってしまうと、男として情けなさを通り越してしまう気がする。

「おろろ、ヒメ大丈夫?」
「ハル、やっぱりどこか怪我を?」
「してないって!おっかしいな、本当に何とも無いはずなのに」
「宝珠の力を借りているとはいえ、魔法初心者のくせに物体をしばらく具現化させるほどの魔力を使ったのじゃ、そのせいじゃろう」

ハルの様子を眺めたハクトが言う。その言葉の意味を、ハルはしばらく考えた。

「……それってつまり、スタミナ切れって事か」
「そうとも言うな。後は、緊張の糸が解れ安心したお陰でどっと力が抜けたという所かのう」
「な……情けねえ……」

頭がくらくらするのは決して疲れのためだけでないだろう。自分の頭を腕で抑えながら、ハルはがっくりと肩を落とした。まともに魔物の攻撃を受けたヘリオ、真正面から魔物と戦ったカエデ、とどめの魔法をいくつも放ったハクト、そして一番遠くから武器を出してみせただけのハル。この面子の中で被害を受けていないのはまず間違いなく自分のはずなのに、一番参っているのが自分だなんて。

「初めての魔法だったのじゃ、ただの人間にしてはなかなかやった方じゃと思うぞ」
「そーそー、魔法で武器を出しちゃうなんて俺様には出来ないし、ヒメだってすごいって!」
「ハルが刀を出してくれたおかげで、私は戦えた。ハルはすごいよ、ハルがいなかったら私は勝てなかった」
「お前ら……俺の事はしばらく放っておいてくれ……」

三人とも妙に慰めてくるのが逆に心苦しい。完全に落ち込んでしまったハルに、まるでこの場の空気を変える様にヘリオが明るい声を上げた。

「あー、それより何で刀だったの?刀を構えるカエデ様の美しさは半端なかったけどさ、あんまりメジャーな武器じゃないよね?高価だし」
「あ、ああ、そうかもな……そういやカエデも刀の事は知っていたんだな」
「前に、刀を使うゴシュジンサマがいたから」

こくりと頷くカエデの手にはもう刀は無い。あの時は必死だったが、今思えばよく刀なんてあんなに綺麗に描けたなとハルは自分で自分に感心するほどだった。それほど、昔に見た記憶だったのだ。

「俺のじいさんが若い時に使ってたって言う刀が、家に置いてあったんだよ。それを覚えててな。じいさんがまだ生きていた時によく見せてくれていたが、あの時は俺も小さかったからな……思い出せて良かったよ」
「魔法で物体を出すには強烈なイメージが必要じゃ、よほどハッキリとその刀を覚えていたんじゃな」

感心するように頷いたハクトが、パタンと手に持っていた本を閉じた。その音でハルも思い出した。ここが、森の中の一本道であるという事を。

「さて、一段落ついた事じゃ。これ以上の魔物は恐らく出ては来ぬじゃろうが、用心に越した事は無い。早くここを離れるとしようぞ」
「そ、そうだな、もうこんな奴と戦うなんて、二度とごめんだ」
「確かに!あそこまで強いパンチはもう食らいたくないね、美しく無かったし。あっカエデ様ならいくらでも大歓迎だよ!」
「それじゃあカエデに地平線の彼方までぶっ飛ばしてもらうか?」
「冗談です!」

普段のように軽口を叩きまくっているヘリオは、いくら見てもやはりピンピンしている。どうやら本当に無理をしている訳ではなく、無傷であるらしい。ヘリオの常人外れた丈夫さに感心してからハルは、こっちをなおも心配そうに見ているカエデに目を移した。そうしてさっきまでカエデがハルにやっていたのと同じように、その全身を確認するように眺め回す。

「ハル?」
「カエデ、お前こそ怪我とかしてないのか?あれだけ魔物の攻撃を受けまくっていただろ。俺なんかよりずっと疲れてるはずだろう」
「私は、大丈夫」

カエデがすっとハルの方を指差してくる。正確にはハルではなく、ハルの持つ荷物の方だ。ハルがカエデの視線を頼りに手を置くと、そこには丸い物体の感触があった。本当は触らなくても分かっている、そこに、何が入っているかなんて。

「宝珠?」
「私は宝珠を通して、ハルから力を貰っているから。だから疲れなんて、すぐに回復する」
「そ、そうなのか?それは怪我も同じなのか?」
「ある程度は」
「あまり損傷すると回復が追いつかなくなるがな」

歩き出しながらハクトが補足してくれる。それに慌ててついて行く、前にハルはもう一度カエデを見た。カエデは自分がすぐに回復する事を自覚している。だからこそ多少無茶な動きをするのかもしれない。
だけど。

「それでもお前……あんまり無茶すんなよ」
「大丈夫、ハルを守るためだったら、私は何でもする」
「だからそれがなー!……ああ、もう、何て伝えりゃお前も理解出来るんだろうな」
「?」

カエデがハルのために無茶をし、そのために怪我をしてしまう、その事こそが心配なのだと。嫌な事なのだと。
きょとんと首を傾げるカエデに、ハルはもう一度ため息をついた。ハルの気持ちが正しくカエデに伝わるには、まだもう少し何かが足りないようだった。

11/04/15



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