ロスロドの町は、各地にのびる道がちょうど交わる町だった。古い遺跡がいくつも隠された深い森へ入る道、平和な野原が広がる道、起伏の富んだ渓谷を進む道、それぞれに続く道がこの町から始まっていた。そのために人々の行き来が激しく、大きくなった町であった。
そんなロスロドの町へと向かう四人の旅人がいた。森からちょうど出てきたところで、結構歩いてきたのか少々疲れた様子だった。その背の高さ、頭の色まであべこべな四人組の姿を、暗い木々の間からじっと見つめる二つの瞳。その宝石と見紛うほどの美しい青い瞳は、四人組の中の一人へと熱心な視線を送っていた。

「……ああ」

やがて零れ落ちた吐息と共に漏れた声は、可憐な少女のものであった。耳障りの良い高い声は、心の底から落胆したような響きが伴っている。

「やはり、変わられてしまったのですわね……あの頃のあなたが、一番輝いていましたのに……」

ぎゅっと手を握りこんだ少女の表情は、悲しみと悔しさに彩られていた。しばらくそのまま一人を見つめ続けていた少女は、諦めるように一度だけ目を閉じる。次に瞼を開けた時、少女の表情は変わっていた。そこには、さっきの悲しみにくれる少女の姿は最早どこにもなく。
楽しげに歪められた口元と、値踏みするように細められた瞳、そわそわと揺れる華奢な身体と共に頭の左右で揺れるのは、昨夜空に輝いていた星の光ばかりを集めて出来たような、輝く銀色の長い髪。

「仕方ありませんわ、今は与えられた仕事をこなさねば。……さて」

つい、と視線を移動させた少女は、にっこりと笑った。しかしそれは可愛らしい少女の笑みではなく……鋭く尖った、刃のような冷たい微笑みであった。

「あなたが一緒にいるんですもの、持っていると思いましたわ。……宝珠を持っているのは、あの方ですわね」

氷のような瞳が見出した者。それは、四人の中でも一際目立つ、珍しい桜色の髪の男だった。


第四話 銀の刃、緑の竜




ハル達一行がロスロドの町に辿り着いたのは、夕陽を描いた丘から降りて数時間歩いた昼の時間だった。今までに無い大きな町と行き交う人の多さに、カエデが一層珍しげにきょろきょろと首を巡らせる。その横から、晴れ晴れとした笑顔でヘリオが空へと腕を伸ばした。

「いやーようやく文化的な所についたねえ!今までずっと原始的な森の中ばっかりだったんで、どちらかといえばインテリ派な俺様としては息苦しくて仕方なかったんだよねー、よかったよかった。あ、でもまあ、野生の魅力溢れるワイルドな俺様もたまには良いものだったけどね」
「こんな人の多い所で寝言言うな恥ずかしいだろ。いっそこのまま町の中に繰り出して文化に浸っていてもいいんだぞ、心置きなく置いていくから」
「ヒメってばひどい!放置プレイも度が過ぎれば寂しいだけなのにっ!」
「勝手に寂しがっとけ。カエデも気をつけろよ、ボーっと突っ立ってると人にぶつかるぞ」
「大丈夫、ハルに誰かがぶつかりそうになったら、私が盾になるから」
「だから俺はいいっつーの!お前が気をつけるの!」

町について早々せわしなくつっこまなければならないハルが落ち着いた頃に、ここまでずっと本を読みながら歩き続けてきた謎の体力を持つハクトが声をかけてくる。

「それで、これからどうするのじゃ、またギルドにでも顔を出すのかの」
「いや、それはこの町から出発する時にする。今はとにかく、これからの資金を稼がなきゃな」

答えながらハルは荷物をぽんと叩いてみせる。中には昨日必死に描いた絵が入っていた。ちょうど人も多い大きな町だ、お金ももうあまり無いし、ここで売ってしまおうと考えたのだった。さっそくハルは、人々が多く利用するこの町で一番大きな通りへと足を進めた。

「よし、この辺でいいかな」

ハルが選んだのは、立ち並ぶ屋台と屋台の間の壁沿いだった。ここなら通りを歩く人々の邪魔にはなるまい。荷物を置いて準備を始めたハルを見て、ヘリオが驚きの声を上げた。

「えっ自分で売るの?俺様はまた質屋にでも入れるのかなーとか思ってたよ」
「その辺の店に売ったってほとんど金になんかならないんだよ、ああいう所はそれなりに有名な画家の絵じゃなきゃいい値段で買い取らないからな」
「へえ、前々から路上で色々売ってる小汚い奴がいっぱいいるなーと思ってたけど、そういう訳なんだ」
「おい喧嘩売ってんのかお前」

ヘリオの言い草にこめかみをひくつかせるハル。しかし通りを見渡してみれば、しっかりとした屋台を作らず地べたに布なんかを敷いてものを売っている者たちは、確かに少々小汚いと言えなくも無い。皆ハルと同じように旅をしている者たちなのだ。旅の資金を稼ぐために、途中で拾った薬草や狩った動物の毛皮などを辿り着く町々で売って歩く旅人は少なくない。日常的に使うものや遠い地方で取れたものなどは、店に持って行くより直接売ったほうが金になることも多いのだった。
ハルの場合は無名の自分が描いた絵なので、店に買い取ってもらえない事すらある。だからこうやって路上で売るしか方法は無いのだ。

「よし分かった。これから一切ヘリオには金を恵まないからそのつもりでいろ」
「じょーだん!冗談だってヒメー!だから宿代とご飯代はお願いしますこの通りっ!」
「たかる気満々かよ!だったら少しは働け木偶の坊!」
「了解了解!」

ハルを手伝い始めたヘリオの横で、ハクトは敷かれた布にいつの間にか腰を下ろして本を読み始めている。カエデは着々と並べられていく絵をやや呆然と眺めていた。どこか途方にくれたようなその表情に、心配になったハルが手を止めて話しかけてみる。

「カエデ、どうした?」
「ハル……この絵、売ってしまうのか」
「は?当たり前だろ、その為に描いたものだし」
「そうか……そうだった、確かにそうだ」

自分を納得させるように呟くカエデの姿はいつもと違う。カエデに何が起こったのか分からず戸惑うハルへ、ハクトから助け舟が出された。

「おそらく、惜しいのじゃろう」
「へ?」
「ハムが絵を描く姿を随分と熱心に見ていたからのう、よほどその絵達が気に入ったんじゃろうな」

驚いたハルがカエデを見ると、ハクトの言葉を真剣に考え込んで、納得したように頷いていた。まさにそういう事らしい。

「ハルの絵は好きだ。それが無くなってしまうと思うと、もったいないと思った」
「も、もったいないって……これぐらいいつでも描いてやるって」
「本当?」
「絵描きの俺が何のためにこうして旅していると思ってるんだよ。これからいくらでも描いていくんだからもったいなくないんだよ、分かったか?」
「それなら、分かった」

晴れて納得してくれたカエデも手伝いに加わって、即席の絵売り場はすぐに整った。後は、お客さんを待つだけである。
すぐに売り切れるものではないのでのんびりと売っていこうと腰を下ろしたハルだったが、逆に張り切っている者がいた。ヘリオだった。

「ヒメ、俺様いい事思いついたんだけど」
「悪い予感しかしないが、一応聞いてやる」
「この存在自体が奇跡の芸術品である俺様が、客引きしてあげるの!きっとその辺の女の子達がウハウハ釣れちゃうよ!」
「はあ?」

呆れた声を上げたハルだったが、ヘリオはやる気満々のようだ。ハルの隣に同じように座ったカエデは不思議そうにヘリオを見つめ、ハクトはもちろん一切見ない。

「まあ見てなって!あっという間に引っ掛けて俺様の実力見せてやるから!」

そのままヘリオはハルの了承の返事も待たずに歩いていってしまった。ハルはもう止めなかった。カエデがこちらを伺うように見つめてくる。

「ハル、ヘリオが勝手に行ったけどいいの」
「まあ壊滅的に駄目な性格はともかく顔が良いのは確かだしな、本当に客を連れてきてくれる可能性もあるから、放置しとくか」

そのまましばらくヘリオの様子を眺めてみる。ヘリオはどうやら好みの子を探しているようで、やたらとうろうろしていた。あいつは客引きの意味を分かっているんだろうかと考えている間に、とうとうとおりを歩いていた三人組に声をかけた。もちろん女の子だ。

「お、声をかけてるぞ。成功するか?」
「ヘリオとあの人達、こっちに来たら成功?」
「そうそう。でも若い女ってあんまり絵買わないけどな、どうなるか……」

固唾を呑んで見守っていると、どうやらヘリオと女の子達の会話は弾んでいるようだった。ヘリオはもちろん笑顔だが、女の子達もどこか楽しげである。これはもしかしたら、もしかするかもしれないと淡い期待を込めて見つめていると、ふいにヘリオだけがこちらへ戻ってきた。ハルとカエデは思わず顔を見合わせる。何故客を連れずに一人で戻ってきたのか。
理由は目の前にやってきたヘリオの言葉からすぐに判明した。

「やったね聞いて聞いてヒメ!あの子達俺様にご飯おごってくれるって!大成功!これで一人分の食事代が浮くから絵がひとつ売れたものと思えばいいでしょ?ね?そういう訳でちょっと行ってくる!すぐ戻ってくるから置いていこうとしても無駄だよ、俺様のしつこさは天文学級だから!じゃっ!」

一方的に喋ったヘリオはすぐに女の子達の元へ戻り、歩いていってしまった。それをハルは無言で見送る。本を読みながらのハクトから、静かに声をかけられた。

「ハムよ、まさかあの男に何か期待していたのではなかろうな?」
「いや……ああ、俺が悪かったよ……」
「ハル、ヘリオがどこか行った」
「カエデ、あれの事は忘れろ。ヘリオなんていなかったんだ、いいな」

気を取り直してハルは正面に向き直った。変に声をかけても引かれるだけだとハルは経験上良く知っていたので、特に声は出さない。絵の内容、中身で勝負するのだ。今回は題材がとても良かったので、おのずと買いたい人が集まるだろうと踏んでいる。
するとさっそく、通りの向こう側からちらちらとこちらを伺う女性の二人組があった。女性が引っかかるとは珍しいなと思っているうちに二人は近づいてくる。少しのためらいの後、一人がハルに声をかけてきた。

「あの、聞きたい事があるんですが、いいですか」
「はい、どうぞ」

値段を聞かれるかな、とハルは身構えた。大体言い値で売っているので特に値札はつけていない。女性は二人で目配せしあった後、思い切って言った。

「そっその子、このお店の子ですか?すっ少しだけ撫でてもいいですか?」

女性はある一点を指して尋ねる。ハルがその先を追うと、絵ではなかった。ふわふわの白い子どもの頭があった。女性が指していたのは、座り込んでもくもくと本を読むハクトだった。

「は、ハクトさん……」
「……よかろう」

本人から許可が出たので頷くと、女性達は歓声を上げてハクトに群がった。そのもふもふの頭を撫でて、可愛い柔らかい可愛いと恍惚そうに騒いでいる。ハルはその光景を無言で見つめた。カエデもやっぱり不思議そうに見つめた。
やがて頭を撫でまくった女性たちは、満足そうな笑顔でハクトから離れ、

「あー気持ちよかった!子どもの柔らかい頭最高!仏頂面も可愛い!」
「ありがとうございました!あっ綺麗な絵ですね!そっちの小さいの一枚買います!」

と、気軽に買ってもらえるようにと小さい紙に描いた絵を一枚買って去っていった。満面の笑みだった。
しばらく沈黙が支配する。破ったのはカエデだった。

「ハクトの頭、そんなに気持ちいいの?」
「お、俺には確かめる勇気は無いから今度実際に確かめさせて貰えよ。いやそれにしても、まさかハクトさんがここにいるだけで客引きになるとはなー!助かるよハクトさん」

なるべくおだてるように声を掛けるが、ハクトはふんと息を吐くだけだった。やっぱり、子ども扱いされるのはあまり好きではないのだろうか。今更、ハクトが本当の五歳児だとは思わないが、それでもその外見は天使のような可愛らしい幼児なので、どう扱っていいか迷う時がある。
しばらくハクトを眺めたハルは、ある事を閃いた。

「ハクトさん、ものは相談なんだが」
「言ってみよ」
「ハクトさんの絵でも描いたら、さっきのおねーさん方みたいな人に売れるんじゃないかなーと思って」
「わしの絵じゃと?」
「そうそう。俺、人物画も結構描けたりするんだ。とびっきり可愛く……あ、いや、かっこよく描くからさ、な?」

我ながら名案だとハルは思ったのだが、ハクトは思いっきり嫌そうに顔をしかめさせた。

「断る。こんな情けない姿が絵という形でこの世に残るのは耐え難い屈辱じゃ。元の美男子なわしならいくらでも描かせてやったのじゃがの」
「元のハクトさんなんて想像つかないし……今のハクトさんじゃなきゃ意味ないし……やっぱ駄目か……」
「わしを絵にせずとも、そこに美しい格好の素材がいるのではないか?」

ハクトが指したのはカエデだった。その一切笑わない表情はともかく見た目ならカエデの美しさは十二分である。確かにカエデの絵ならば買っていく男達がいそうだ。なるほどと納得しかけたハルは、しかしすぐに難しい顔でカエデを眺め回した。きょとんとしているカエデをじっと見つめた後、最後にその目を見て首を振る。

「いや、カエデは駄目だな」
「何故じゃ」
「この目の色は今の俺にはどうしても再現出来そうにない。ただの赤色で塗りたくっても、この目の色にはならない」

ハルとしてはとても真面目に当然の事を言ったのだが、ハクトは心の底から呆れた目をしてこっちを見てきた。どうしてそんな目でみつめてくるのだろうか。戸惑っているうちに、とうとうハクトは本を閉じた。

「一応わしの目の色も再現が難しそうな金色をしておるのじゃが……いや、皆まで言うまい。まったく、宝珠を調べるためとはいえ、こんな天然共の相手をせねばならぬとはな」
「今ものすごく回りくどく失礼な事を言われている気がするんだけどな?」
「簡単な事じゃ、付き合ってられんと言っているのじゃよ。ほとぼりが冷めた頃また戻ってくるとしよう」
「え?あ、ちょっハクトさん?!」

そのまま立ち上がったハクトは、本を抱えたまま歩いて行ってしまった。ハルにとっては訳の分からないまま去られてしまったのでしばらく呆然としてしまったが、また戻ってくるとは言っていたので、今は気にしない事にした。客寄せ役がいなくなったのは少しだけ痛いが、いつもは一人で売っていたのだ。何も変わらない、はずだ。

「仕方ない、ボチボチ売るか」
「ん」

頷くカエデと並んで待つ事数十分。さすがに旅人や商人が立ち寄り交易で発達してきたロスロドの町である、ハルの絵は飛ぶようにとまではいかないが、なかなか好調に売れていった。何人かカエデ目当てに寄ってきた男もいたが、カエデが鈍すぎるのもあって華麗に撃退出来ている。

「今日は運がいいな、売れない時っていうのはまったく売れなかったりするから、少し冷や冷やしていたんだけど」
「大丈夫、ハルの絵はすごいから、皆買っていく。私もお金があったら買う」
「カエデの金はつまり俺の金だから意味無いだろ。でもま、これで資金も多少潤うな」

これは今日中に全部を売り切る事が出来るかもしれないとハルが内心安堵していた、その時だった。

「こんにちは。素敵な絵ですわね」
「ああ、いらっしゃ、い……」

掛けられた声に反応して顔を戻したハルは、思わず言葉に詰まっていた。目の前に現れた色が、予想もしていなかった珍しい色だったからだ。
左右で二つに束ねられた太陽の下に輝く長い銀色の髪と、本物のラピスラズリが煌めいているかのような青い瞳。美しい色を持った少女が、ハルを見つめて微笑んでいた。

11/07/19



 |  |