今夜の宿は、日が落ちる前に取る事が出来た。しかも二人部屋を二つ。前に四人で一つの部屋しか取る事が出来なかったあの悪夢を、繰り返さずに済むようである。
「はーい!俺様、カエデ様と一緒の部屋がいい!そんで夜通しSMとは何たるかを講義して、立派な女王様に仕立て上げるから!」
「ハクトさん、あの変態の面倒を見てやってくれないか」
「気は進まぬが、仕方あるまい……魔法の修行と思えば何とかなるじゃろう」
「そこ、俺様を無視してあひん!話を進めぎゃはっ!るなひゃふん!」
ハクトの本から次々と飛び出してくる電撃にこまめに打たれるヘリオを一瞥して、ハルは背後に控えていたカエデを振り返った。自分が持っていた荷物を、そのままカエデに手渡す。
「カエデ、先に部屋に荷物持っていっておいてくれ、俺は金を払ってくるから」
「わかった」
カエデは頷くと、それなりに重いはずのハルの荷物を軽々と持ち上げ、取った部屋へと向かっていった。その後ろ姿を、ハルは複雑な思いで眺める。おそらく、というか確実に、カエデはハルよりも力があるのだろう。魔物をあんなに軽々と放り投げられるぐらいの腕力を持っているのだから当然だ。それが何だか、男として負けている気がしてハルは複雑なのだった。荷物だって手ぶらのカエデに持たせれば自分が楽出来るだろうと分かってはいるのだが、そのせいで素直に任せる事が出来ない。俺って面倒くさい奴だな、とハルは自分で思っている。
とにかく今日は早く休もうと思考を振り払い、宿屋のお姉さんにお金を払ってカエデ達の後を追おうとしたハル。しかしその動きは、後ろから掛けられた声によって止められる事となる。
「ハル様」
「えっ?」
どこか聞き覚えのある声だった。その声の主に検討をつけながら振り返ったハルが見た人物は、その想像に違わない少女であった。銀色の髪と、青色の瞳を持つ、あの子だ。
「えっとお前は、ソディ?」
「わたくしの名前を覚えて下さっていたのですわね、嬉しい!」
ハルに名前を呼ばれたソディは、手を合わせて喜んでいる。もう会う事はほとんどないだろうなと思っていたので、ハルは目を丸くして驚いた。しかも出会ったその日にまた出会うとは。
「驚いた、お前もこの宿に泊まるのか?」
「いえ、わたくしは別な場所へ。ただ、ハル様のその目立つ頭が見えたので、追いかけて声を掛けただけですわ」
「まあ、目立つのは否定できないからな……」
複雑な思いを抱くハルへ、ソディはそっと身体を寄せてきた。一瞬どきっとしたハルだったが、ソディが内緒話をするかのように頬に手を当てて顔を寄せてきたので、反射的に耳を近づけていた。ソディの、まるで吐息のような小さな声が辛うじてハルの耳に入ってくる。
「実はわたくし、ハル様にお話したい事がありましたの」
「俺に?」
「ええ、お連れの方が何人かいらっしゃったようですが、ハル様だけに。……その、宝珠の事について」
「?!」
パッと、ハルはソディから身体を離した。ソディは慌てる様子もなく、ただにこやかにほほ笑んだまま、ハルを見つめていた。その瞳は冗談を言っている様子もなく、真剣そのものだった。
「隠したって無駄ですわ。わたくし、宝珠を見分ける眼力にかけては右に出る者がいないほどの実力者ですのよ。例え宝珠を実際に見なくとも、人間だけを見て宿主だと分かってしまいますの。ね?当たっているでしょう?」
笑みに歪むソディの青い瞳が、怪しく光る。本当にそんな能力を持っているのかは定かではないが、確かに当たっていた。こんな時に話をはぐらかす能力を持っていれば良かったのだが、あいにくハルは誤魔化せるだけの話術を持ってはいなかった。結果、沈黙で相手に肯定を伝えてしまう事しか出来ない。ソディは笑った。
「ハル様、今晩わたくしと二人だけでお話しましょう。そうですわね……日付が変わる頃、この宿の隣の小道を真っ直ぐ行った場所にある、空き地なんかがよろしいですわね。途中で邪魔者に入られても困るから」
「話って……俺とお前で何を話すっていうんだ」
「これは、ハル様にとっても悪い話じゃないと思うのですが……」
ソディはさり気なく下げていたポシェットへ手を伸ばし、その蓋を開けてハルへと中身を見せた。視線を寄こして覗き込んだハルは、そこに光を反射する丸い何かが収まっている事に気付き、一瞬後に声を上げて驚いていた。
「……はっ?!」
「うふふ、分かりました?そういう事ですから、絶対来て下さいませね。もちろん、お一人で」
ポシェットの中を隠すように身を翻させたソディは、一度だけ振り向いて、
「約束ですわよ、ハル様」
念を押すようにウインクしてから、颯爽と宿から出て行ってしまった。嵐のように過ぎ去っていったソディに、しばらくハルは立ちつくす事しか出来ない。頭の中には、先ほど見たものが延々とぐるぐる回っているのだった。
そう、ポシェットの中に丸く収まっていたもの。あれは、玉だった。ソディのあの瞳の色をそのまま写し取ったような、煌めく青の玉。あの大きさはまさしく、ハルの持っている宝珠とほとんど同じ大きさであった。
「まさか……まさか今のも、宝珠?こいつと色違いの……?」
色の違う宝珠がある事は知っていた。ヘリオが探しているのもハルの持つ者とは違う宝珠だと言っていたから。だが実際に目にするとそのショックは計り知れない。
では、あの少女もハルと同じという事なのか。ハルと同じように宝珠の宿主となって、不思議な力を貰い、守護騎士と共にいるのだろうか。今のソディの傍には誰もいなかったが、外で待たせていたのかもしれない。ソディが去った今となっては、確かめようもない事だ。
『絶対来て下さいませね。もちろん、お一人で』
ソディの言葉が甦る。ハルの心は迷いに迷っていた。危険だと言うのは、もちろんとても良く分かる。しかし宝珠の事について何かの情報が欲しい事も、また確かなのだ。ましてや相手が、自分と同じ宿主ならば。
宿のお姉さんがあまりにじっと立ちつくす様子に心配になって声を掛けてくるぐらい悩みに悩み抜いたハルは、数十分後、ようやく覚悟を固める事が出来た。
即ち、一対一での対話である。
昼間いた人々は一体どこに行ってしまったのかと思うぐらい、町の夜は静かであった。油断していると小石に躓いてしまいそうな薄暗い道を、ハルは緊張した面持ちでゆっくりと歩く。途中何度も、そっと後ろを振り返っては誰かがついてきていないか確認した。何故ならこうやって宿から外へ出てくる際、カエデが非常についてきたがったからだ。
ただでさえ「守護騎士だからついていく」と言い張るカエデにソディの事を話せば絶対についてくるだろうと分かっていたので、ハルは理由をごまかしながら何とかここまでやってきたのだった。最後には「これは命令だ!」と部屋から出てこないように言いつけてしまった。あまりこういう手段に出る事はしたくなかったのだが、今回は仕方が無い。闇夜の中でも、月の光に照らされた銀色の髪が美しいこの目の前の少女が、ハルとだけの対話を望んでいるからだ。
そう、色々考え込みながら歩いていたハルは、いつの間にか約束の空き地へとたどり着いていた。
「本当に来て下さったのですわね、ハル様。わたくし、安心しましたわ」
嬉しそうに笑うソディに、ハルは笑い返す余裕もなく睨みつける。見た所、ソディが持っているものは、例のあの青い玉が入っていたポシェットだけであった。凶器のようなものを持っていない事にまずは心の中でホッと息をつき、ハルは言葉を投げかけた。
「それで、話って一体何なんだ」
「いきなり本題に入りますの?」
「当たり前だ、こんな時間にこんな所で長々と話をしたい気分じゃない」
「つれないですわね。ですがわたくしも、今この時が来るのをずっと待っていたんですもの。さっそくお話いたしましょう」
頷いたソディは、おもむろにポシェットからあの玉を取り出した。暗闇の中で見つめても、その青い玉はどこか怪しげに光っているように見えた。こちらをじっと見つめるソディの瞳のように。
「これは瑠璃の宝珠、我が家に代々伝わる家宝ですわ。今はわたくしがお仕事のために持ち歩いておりますの」
「お仕事?」
「ええ。少し前にとある方から頼まれたお仕事ですわ。このとある方というのが、どういう人だか分かりまして?」
小首を傾げるソディに、無言で答えるハル。正直、検討もつかなかったからだ。警戒しながらもソディの言葉に考え込むそぶりを見せるハルにくすくす笑いながら、ソディは答えた。
「わたくしも実は詳しく分からないのですが、何でも昔々にこの宝珠を作った人間の子孫とか何とか言っておりましたわ」
「な、何っ?!」
思わずハルは身を乗り出した。ソディの言う人物はまさしく、ハル達の旅の目的であった。まさかこんな唐突にそんな情報が入ってくるなんて思ってもいなかったので、今の状況を忘れて激しく反応してしまう。すぐに我に帰ったハルだったが、もちろん遅い。ソディの瞳が細められた。
「この宝珠、まだ願いを叶えられる段階ではありませんが、宿主に力を与えてくれるので持ち歩いておりますの。それぐらい、ハル様でもご存じですわよね?」
「………」
「さて、わたくしがその方に頼まれた仕事……何だかおわかりになられます?」
ソディはポシェットの中に手を伸ばした。そこからゆっくりと取り出されたものは……宝珠では無かった。ソディの手の中で空に浮かぶ細い月の光をギラリと反射するもの、それはナイフだった。瑠璃色の柄を握り、よく切れそうな切っ先を真っ直ぐハルへと突きつけて、ソディは言う。
「世界中に散らばっているであろう宝珠を全て探し出し、それを手に入れる事、ですわ」
ハルはソディの言葉を聞き終わった瞬間、踵を返して駆け出していた。嫌な予感はしていたが、まさか真正面から敵対を宣言されるとは。相手は自分よりも幼い少女であるが、あっちは小さいながらも凶器を持ち、自分は持っていない。ここは逃げるしかないと、瞬時に悟ったのである。
足の長さから違うのだから、転んだりしなければ絶対に追いつかれる事は無いだろうとハルは思っていた。しかしその考えはすぐに覆される事となる。
「ひどいですわハル様、わたくしを置いていきなり逃げ出すなんて」
「はっ?!」
声はすぐ後ろから聞こえてきた。ハルが驚きに振り返る、前に身体のバランスが崩される。足元に痛みとともに何かが巻きつき、ハルを引っ張ったからだ。全力で駆けていたハルは受け身を取る事もままならず、地面にそのまま倒れ込む事しか出来なかった。ぶつけた肩と腰が痛い。
「っつう!」
「こんないたいけな少女から背中向けて逃げ出して、挙句の果てに追いつかれて地べたに倒れ伏すなんて……無様だとは思いませんの、ハル様?」
痛みを堪えてとっさに起き上がろうとしたハルの右手を、ソディの足がすかさず踏みつけた。顔を上げれば、その手に銀色の鞭を持ったソディがこちらを見下ろしていた。瑠璃色の瞳からはその色と相まって冷え冷えとした光を放っている。ぎりぎりと軋む右手に顔をゆがめながら、ハルはソディの持つ武器を驚きの顔で見つめた。
「な、何だよその鞭は……さっきまでそんなもの持っていなかっただろ」
「ああ、これですの?ふふっさすがに気になりますわよね」
きっとあの鞭でハルの足を止めたのだろう。ソディは鞭を軽く弄んだ後、ふいに宙へと放り投げた。そうしてハルが瞬きをしている間に、ソディの手から鞭の姿は跡形もなく消える。代わりに現れたのは、最初にソディが持っていたナイフだった。
「なっ……?!」
「ハル様、気になりませんでした?わたくしが宝珠の宿主だというのに、周りに守護騎士がいない事」
ソディに尋ねられて、ハルは改めて驚いた。今までは緊張のせいで考え付かなかったが、確かにおかしい。ハルにはカエデが四六時中ぴったり傍についていたのに、ソディは初めて会った時から一人であった。唯一あのマツバとかいう奴がソディの後を追っていたが、守護騎士が宝珠を持つ守るべき者の居場所が分からないというのもおかしな話だ。つまりマツバは守護騎士では無いのだ。それでは、一体誰がソディの守護騎士なのか。
ハルはハクトの言葉を思い出す。あれは、皆で仕方なく宿の一室で一晩過ごした後の時だったか。あの時確かに、ハクトはこう言った。
『守護騎士は宝珠の宿主のイメージによってその姿を変える』
「……まさか……いや、そんなはずは……だってそれ、武器だろ?無機物だろ?!」
「あらハル様、守護騎士が生き物を象らなければならないなんて、どこで聞かれましたの?少なくともわたくしは聞いた事がありませんわ。そして、現にここに存在しておりますのに」
ソディがまたナイフを宙に投げる。次に現れたのは、ナイフよりも何倍も大きくて長い剣だった。次に投げれば、さらに柄が伸びて槍に。次は刃が大きくなった斧へ。様々な武器が次々と目の前に現れる。その信じられない光景に加え、どの武器も華奢な片手で簡単に扱うソディの姿も異様であった。これが、宝珠に与えられたソディの力なのだろうか。しばらくハルに見せつけるように持っていた武器、いや「守護騎士」の姿を変えていたソディだったが、やがて飽きたのか手を止めた。ソディが最後に持っていたのは、何でも引き裂きそうな曲がった刃を持つ、大きな鎌であった。月世の中、鎌を背負いどこか楽しそうに残酷な笑みを浮かべる少女の姿は、まるで「死神」そのもののように思えた。ハルの顔から、血の気が引く。
「一目散に逃げ出したと言う事は、ハル様もご存じのはずですわね。すでに宿主が存在する宝珠を、手に入れる方法を」
「そ……そういうお前は、ご存じなのかよ」
「ええ、もちろん」
あっさり頷くソディ。その顔に浮かぶのは、無邪気な笑顔だった。無邪気であるが故に、心から恐ろしく思える笑みだった。ソディはどうやら、今の状況を心底楽しんでいるようだ。鎌の刃をハルに宛がい、待ちきれないといった様子で高らかに笑う。
「さあハル様、覚悟はよろしくて?言っておきますがわたくし、ひと思いに殺して差し上げようとは微塵にも思っておりませんわ。じっくりと時間を掛けて、ハル様のお顔が苦痛に歪み絶望に沈んでいく様子を味わいながら切り刻んで差し上げますから。そうですわね、ハル様は絵描きさんですから、まずはこの右手から切り落としてみましょうか。もう二度と筆を握れない己の腕を見つめるハル様の心境を考えただけでわたくし、背中からぞくぞくとしたものが這い上がってきますの!ああ、ハル様、早く惨めに這いつくばって、年下の女に土下座する屈辱を味わいながら卑しく命乞いをして見せて下さいな!」
ソディはどんどんと興奮した面持ちでハルを見下してくる。鋭い刃を宛がわれ恐怖に震える心を抑え込みながら、ハルは精一杯ソディを睨みつけた。今この場で出来る、ハルの唯一の反抗であった。確かに少女相手にこれっぽっちの事しか出来ない惨めな状況ではあるが、ここからさらに命乞いなんて、出来なかった。例え力の差が歴然である事を見せつけられ、反撃が絶望的であろうとも。このまま死ぬ事になっても。ハルはあくまで抵抗したまま、心は負けないままでいたかったのだった。
ハルの瞳と、ソディの瞳は、しばらく視線をぶつかり合わせた。ハルの必死な瞳とは相反して、ソディの瞳はどこまでも冷めた青色だった。しかしやがて、ソディの様子に変化が訪れる。
「……ああ」
ソディの唇から、息がこぼれた。熱の籠った声だった。ソディは瞳をうっとりと潤ませ、自らの身体を片手で抱きしめながら、ハルを見つめて叫ぶ。
「これ、この瞳ですわ!命が脅かされる恐怖と闘いながら、それでも心だけは折らせまいと健気に睨みつけてくるこの瞳!ハル様、わたくしが一目あなたを見た時から予感していた思いは外れてはいませんでしたわ!あなたのような負けず嫌いのプライド高い方を無理矢理ねじ伏せる事がわたくし、わたくし……何よりも快感なのです!」
たまらないといった顔で笑うソディを、ハルは恐怖にさいなまれながらも、どこか呆れた心で眺めた。こんな状況下で、ハルは確信してしまったのだ。
目の前のこの少女が、ヘリオとは間逆のベクトルで、しかし同じぐらい、変態である事を。
11/10/28
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