ハルは半信半疑で壁の割れ目を覗き込んでいた。確かにハクトの言う通り、この割れ目に大人の身体は潜りこめないだろう。ハクトぐらいの小さな子どもであれば、何とか通り抜けられるであろう大きさだ。割れ目の向こう側にはもう少し大きな空間が、奥へ奥へと続いているようだった。このままどこかへ通じているのか。なるほどこれが脇道かと納得は出来るものである。
しかしハルは、浮かない顔をしてハクトを振り返った。

「なあハクトさん、確かにこれがその少数民族がいる場所とやらに通じる道なんだよな?」
「そうじゃ」
「んでもって、この狭さの理由はこの道が子ども専用だからって事なんだよな?」
「その通りじゃな」

一つ一つ頷いてくれたハクトに、ハルは目の前に立ちふさがる岩を叩いてみせる。当たり前だが、びくともしなかった。

「で、その子どもしか通れないこの脇道を、どうやって通るっていうんだ?いやまあ確かにハクトさんは通り抜けられるだろうけど、俺達は確実に無理だろ、これ」
「そもそも何でチビはこんな分かりにくい道知ってた訳?」

横から入ってきたヘリオの質問に、まずハクトは答えてくれた。

「この先に住んでいる少数民族に、昔の知り合いがおってな。その者に教えて貰った道なのじゃが、今もまだ残っていて安心したわい」
「どれだけ昔に聞いたんだ……いやそれより、どうやってこの道に入るのかって事なんだけど!」
「焦るでないハムよ。簡単な事じゃ」

岩に向き直ったハクトは、おもむろに本を広げた。こんな所でこんな時に本を読み始める気か、と思ったのは一瞬で、口を挟む前に目を焼くような眩い光に全員で怯んでしまう。そうして光が消えた後に持ち直したハルは、ハクトに文句を言おうとした口をそのままぽかんと開け放つ事となった。

「……へっ?」
「目の前に立ちふさがる障害は、除けてしまえばいいのじゃ」

いくら瞬きを繰り返しても目の前の景色は変わらない。そう、子どもしか通れないぐらいの割れ目が入った岩が、跡形もなく消えてしまったこの景色は。ヘリオもごしごしと自分の目をこすってみている。カエデさえも、岩がどこにいってしまったのかきょろきょろとあたりを見回した。

「ハル、岩が消えた」
「あ、ああ、消えたな……は、ハクトさん?」
「何をしておる、さっさとこっちに来んか」

三人がキョトンとしている間に、ハクトは一人さっさと現れた脇道にへ足を進めていた。頭は混乱しっぱなしだったが、急かされるままに脇道へと入り込むと、振り返ったハクトが広げた本を向けて何か複雑な呪文を唱える。すると、また閃光が辺りを覆った。
まさか、と思いながら目を瞑ったハルが再び瞼を持ち上げた時、そこには入り込んだ脇道と今までいた道を分断するかのように、あの大岩が復活していたのだった。

「ハル、岩が戻ってきた」
「あ、ああ、戻ってきたな……もしかしなくてもこれ、ハクトさんがやったんだよな?」
「無論じゃ。魔力を以て一時的にこの岩をこの本の力場に移動させたのじゃ。まあこれはある程度の大きさまでのものを一時的に、しかも無機物にしか出来ない魔法じゃがな。必要であればもっと詳しい解説を入れる事も出来るが」
「いっいやいい、つまり不思議な力で少しだけ岩をどかしてくれたって事が分かれば!」

確実に頭が痛くなりそうな講義が始まりそうな予感に、ハルは慌てて手と首を横に振った。それより今は、目的の脇道に入れた事の方が重要なのだ。改めて道の先を眺めてみると、大きな岩と岩の隙間がずっと向こうに、徐々に空に向かって続いているようだった。それを見て、ヘリオがげんなりした声を上げる。

「うへえ、もしかしてこれから登って行く感じ?」
「うむ、目的地はもっと上の方に位置しておるからの」
「うわーん!こんなに儚く健気で美しい俺様にこんな重労働を強いるなんてひどい!死んじゃう!」
「死なないだろうが!この道は子ども用の道なんだろ?なら大人に進めないような道のりじゃないんだからさっさと歩け!」
「ああっこんなに嫌なのにこうやって命令されると快感が沸き起こってくる……この感情は一体何?」
「病気だよ!」

ヘリオの背中を蹴り上げながら、ハル一行は脇道を歩み始めた。さすがに狭いためにスムーズには進まないが、それでもそこまで歩きにくいものではない。それなりに太った人がここにいなくて良かったなとハルは思った。もし横幅が大きい者がいれば、挟まって先に進めない所だった。
両手を左右の壁に当てながら歩いていけば、道がどんどん広くなっていく事に気付いた。それに伴って歩くスピードも速くなっていく。順調な進み具合だ。しかし途中で、ふいに後ろを歩いていたカエデが立ち止まった事に気配で気付く。振り返ればやはり立ち止まったカエデが、じっと空を見上げている姿があった。

「カエデ?どうした」
「また声が聞こえた」
「声?そういや脇道入る前も言ってたな。やっぱりその、子どもの声が?」
「うん。さっきよりも近い」

カエデが頷いたのを確認して、問うようにその後ろにいたハクトを見る。ハクトはハルを通り越して、もっとずっと先を睨むように見つめていた。

「どうやらこの先にいるようじゃな、声の主が」
「それってつまり……この道を利用している子どもって事か?」
「おそらくな。まあこの道の上にいるという事は、今から向かう少数民族の子どもで間違いあるまい」
「ああそうか、ならいいか」

得体のしれない子どもの声、であれば何か恐ろしいものを感じるが、正体が分かれば何も怖い事は無い。気が楽になったハルだったが、逆に一番前を歩いていたヘリオが元気をなくした。

「ええーっ俺様お子ちゃまは苦手なんだよね。ヒメ、場所変わって」
「仕方ねえな……まあ変態を初対面に晒すのも危ないし、いいぞ」
「ちょっとヒメ、今の聞き捨てならないよ、まるで俺様が変態みたいな言い方!」
「まるでじゃなくてそのまんまだろうが!」

前後を交代出来るほどすでに道は広くなっている。ヘリオと場所を交換して先頭に立ったハルは、少しだけ緊張しながら歩みを進めた。その間にも道は広くなり続け、とうとう人が並んで三人ほど余裕で立てるほどの広さになった頃、ハルの耳にも小さな子どもの声が聞こえ始めた。

「聞こえた!」
「もう、すぐそこにいる」

いつの間にかハルのすぐ後ろを歩いていたカエデが前方を指差す。歩けば歩く程大きくなっていくその声は、どうやら泣いているようだった。なるべく大きな音をたてないように慎重に足を進めたハルは、やがて味気ない岩以外の色彩を目に映す事となった。
一目その色を見たハルは、気のせいではあるが痛みを感じたほどだった。それほど強烈な、眩しく感じる赤色だった。

「……!あ、赤い髪?」

道の真ん中に蹲り、しくしくと泣き続けるその子どもの髪は赤色だった。ハルの旅人の知り合いにも赤毛と呼べるような人物はいる事はいるが、ここまで鮮明な赤を持つ人間は見た事がなかった。まるで炎を身に纏っているようだった。とっさにハルは、振り返ってカエデの瞳を見つめていた。キョトンと見つめ返すその見慣れた真紅の瞳を見ていると、衝撃が和らいでいくのを感じる。カエデの赤が純粋な交じりっけのない赤だとすれば、子どもの赤は太陽の光を混ぜ合わせたような、明るい赤だった。同じ赤では無い。

「へーっあんなに赤い髪は珍しいね、俺様初めて見た」

カエデの後ろから若干息が上がったヘリオが顔を覗かせる。その声に反応した子どもが、ようやくこちらに気付いたようでぱっと顔を上げた。
子どもの顔を見つめたハルは、ギクリとした衝撃を受けた。涙に濡れたその丸い瞳の色が、見知ったものだったからだ。こちらを驚いた表情で見つめるその光は……どこまでも見通してしまうような、強い金色だったのだ。

「あ、あんたたち誰?!人間?!どうしてここにいるの?!」

戸惑った声が子どもの口から洩れる。その高い声と長い髪で、相手が女の子だと見当をつける。ハルが何と答えようか考えあぐねていると、ハルの横をすぎて一歩前に踏み出した者がいた。ハクトだった。

「ハクトさ……」
「下手に答えると警戒される、わしが話そう」

よろしく、と答えようとしたハルだったが、ハクトを見て思わず声を詰まらせた。寸での所で、とっさにつっこみそうになった自分を抑える。ハクトの目にはどこから持ってきたのか、いつの間にかサングラスが掛けられていたのだ。何故?!

「子どもよ、わしらはお前さんの里に用があってここまで来た。案内してくれないじゃろうか」
「里に?よっ余所者を勝手に里に入れちゃいけないって言われてるんだ!誰なんだよあんたたち!」

零れる涙をぬぐいながら全身で警戒心をあらわにする女の子。しかし次にハクトが出した名前に、その雰囲気は一瞬で霧散した。

「この道は昔ツバキに教えてもらったものじゃ。まだツバキは群れにおるのか?」
「ツバキ……?あんた、ツバキ姉ちゃんと知り合いなの?」
「古い知り合いじゃ」

ツバキ。ハルにとっては初めて聞く名前だが、女の子にとってはとても馴染み深い名前だったようだ。とめどなく発されていた警戒の雰囲気は今は無く、ただその名を知っているハクトへの興味がその表情に満ち満ちていた。

「何で?どうして?あんたもまだ子どもなのに、どうしてツバキ姉ちゃんと知り合いなの?」
「昔知り合ったんじゃ。こう見えてもわしはお主より随分と年寄りなんでな」
「ふーん?変なの。じゃあツバキ姉ちゃんに会いに来たの?」
「……そうじゃな、ツバキを通した方が容易じゃろうな。案内頼めるかの?」
「いいよ、今ツバキ姉ちゃん里にいるはずだから」

さっきまであんなに睨みつけていたのに、今は警戒心の欠片もない。子どもの表情はこうもころころと変わるものかと、ハルは少し懐かしい気持ちになった。旅に出る前に故郷で様々な子どもと接してきた事をふと思い出したのだ。
女の子は勢いよく立ちあがろうとして、すぐにぺたんと座りこんでしまった。ちょうど子どもの事を考えていたハルは瞬時に心配になって、慌てて駆け寄った。

「おい、大丈夫か?」
「ううっ……忘れてた……」

女の子の目には思い出したように涙が浮かんでいる。その視線の先には、すりむいたのであろう血が滲んだ膝小僧があった。さっきまで女の子が泣いていた原因が判明した瞬間だった。なるほどと納得したハルは、そのまま手早く荷物の中から傷薬と水を取り出し、女の子の傷を処置する。

「ちょっとしみるけど我慢しろよ」
「いったーい!」
「ああもう暴れんなっつーの。……よし、これでいい」

女の子が本格的に暴れ出す前にさっさと手慣れた様子で包帯を巻き、傷の手当てを済ませたハルは、持っていた荷物を後ろにいたカエデに預けた。

「カエデ、これを持ってくれないか?」
「分かった」
「えーっと君、名前は?」
「……シュウ」
「シュウな。よしシュウ、歩けないんだろ?背負ってやるから来い」
「えっ?!」

自分の目の前に背中を差し出してしゃがんだハルに、女の子シュウは大層戸惑っているようだった。おろおろと周りを見回す姿に、ハクトが安心させるように声をかける。

「その男の名はハム、わしの旅の連れじゃ。向こうの金髪と違って害は無いから安心するが良い」
「ハムじゃねえよハルだよ!」
「俺様害はないよ!ただ自分の欲望に忠実なだけだよ!」

口々に文句を言う二名は置いといて、カエデもシュウを見下ろしながら言う。

「大丈夫、ハルはとても優しい人だから」
「……そ、そう?それじゃあ……」

おそるおそる、シュウはハルの背中に身体を預けてきた。ハクトとほとんど同じ大きさのその小さな身体を、ハルは軽々と持ち上げる。故郷で子どもの世話は嫌というほどしてきた経験があるので、これぐらいハルにとって容易い事であった。

「よっし、出発するか!道案内頼むぜシュウ」
「う、うん!」
「と言っても基本的に道は真っ直ぐじゃろうがな。そうじゃろう?」
「うん!いくつか小さな分かれ道はあるけど、この大きな道を真っ直ぐ進めば里につくよ!」

シュウが前方を元気よく指差す。こうして小さな同行人を増やしたハル一行は、またしばらく隠された渓谷の道を進む事になったのだった。
シュウはとても人懐っこい子どもで、一度慣れてしまえば次々にお喋りを繰り出した。受け答えするのは、やはりその身体を背負っているハルである。そうでなくても、無口なカエデとハクトに子どもが苦手なヘリオというメンバーでは、必然的にお喋り相手はハルになっていただろうが。

「ねえハム!ハムはどうしてこんなに珍しいピンクの髪をしているの?」
「ハムじゃねえハルだ。髪の色も理由なんて知らねえよ、生まれつきなんだから」
「そうなの?どっかの珍しいピンク髪の一族とかじゃなくて?」
「残念ながら俺の家族は俺以外黒髪なんだよ、本当に残念ながらな。この髪色は確か、ばあさんからの遺伝なんだとよ」
「へー。私の家族はみんな同じ赤色だよ!綺麗でしょ?一族皆この色なんだ!」

自分の腰まである長い髪をつまんで、シュウはとても誇らしげに笑っている。ハルはへえっと素直に感心した。髪の色は確かに遺伝するものだが、一族が皆この燃えるような美しい赤い色をしているとは、さぞかし見栄えが良いものだろう。色んな意味で目的地が楽しみになってきたハルは、何気なくシュウに尋ねていた。

「そりゃすごいな。シュウ、お前に兄弟なんかいるのか?」
「いるよ、たーくさん!」
「兄弟多いのか。さっき言ってたツバキってのも、兄弟か?」
「そうだよ!でもツバキ姉ちゃんは兄弟っていうよりも、お母さんに近いかも。歳が結構離れてるんだー」
「はあ?」

ちょっと訳が分からなくて、ハルは間抜けな声を上げた。いくら歳が離れていても、親子ほどの歳が離れている兄弟とはものすごく珍しいものではないだろうか。親が頑張ったのかな、とハルは無理矢理納得する事にした。

「一体そのツバキ姉ちゃんとやらと、どれだけ歳が離れてるんだよ」
「うーん?ツバキ姉ちゃんは本当の年齢をなかなか教えてくれないけど……多分、100歳ぐらい!」
「ぶっ?!」

今度こそハルは吹き出した。思わず背負った顔を振り返るが、見つめ返してきたご機嫌な様子の金色の瞳は嘘をついているようには見えない。無邪気で素直な子どもの瞳そのものであった。だから余計にハルは混乱する。一体どんなつもりでこの子どもは歳の差100歳などと答えたのだろう。いくらなんでも離れすぎだ、現実的ではない。
んな訳あるかとつっこめばいいのか、そいつはすげえなと子どもの話に乗ってやればいいのか、悩んでいたハルの耳にその時、ばさりと空気が動く音が届いた。気付けばこの子ども用の秘密の道を登る様に歩いてきて大分経つ。里まではもう少しだと、少し前にシュウは言っていた。そこから幾許か歩いてきた今、里が目の前に迫っていてもおかしくはない頃であった。

「あっついた!ついたよハム!私たちの里!」

頭の上からシュウのはしゃいだ声が落ちてくる。ハムじゃないハルだ、と最早ハルは訂正する事も忘れていた。ただ目の前の空を風を切って飛んで行った飛行物体を、口を開けたまま見送る事しか出来ない。
気付けば目の前には、大きな空間が出現していた。山と山に囲まれた盆地のようなその地形は、なるほど隠れ里という名がぴったりの、空から見下ろさなければ存在を確かめる事が出来ないであろう場所であった。その限られた空間に、眩しいほどの赤色がいくつも存在した。その中のいくつかは、シュウのように赤色の髪をしていた。シュウのように幼い子どももいたし、ハルぐらいの歳の者もいたし、大人もいた。そしてそれ以外のいくつかは……全身が、真っ赤だった。そして宙を飛んでいた。

「ちょっとちょっとちょっと、これどういう事?俺様立ったまま夢見てるんじゃないよね?」

横に並んだヘリオが自分の頬をつねりながら呟く。逆側の隣にやってきたカエデがぱちぱちと瞬きをしながら、普段の平坦な声を若干驚きに響かせながらハルの服を摘む。

「ハル、すごい。ここには沢山竜がいる」
「当たり前だよー!だってここが、私たち赤竜人族の里なんだもん!」

満面の笑みで答えたのはシュウだった。その言葉を理解するのに、ハルは数秒を要した。

「せき、りゅうじん、ぞく?」
「ハムよ。この道が子ども専用である理由、今なら分かるか?」

メンバーの中で唯一、いつも通りの表情を浮かべたまま、ハクトが尋ねる。ハルが無言で視線を送れば、にやりと笑って答えてくれた。

「前に話したはずじゃ。竜人が竜の姿に変身できるのは、大人になってからじゃと」

ああ、なるほど。竜になれば空が飛べるから、地面を歩く道が必要ないのね。真っ白に染まる頭の中で、ハルは呆然と納得した。

12/04/30



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