ここまで夢中で歩いてきたせいで、お昼時を過ぎた空では太陽が傾き始めていた。しかしそうまでして歩いてきたための疲労も空腹も全て忘れてしまうほど、目の前の光景はハルに衝撃を与えた。何せ、存在自体を疑っていた竜人とやらが目の前に、それも大勢が普通に暮らしている姿が広がっているのだ、あっけにもとられるというものだ。

「待ってて!今ツバキ姉ちゃん探してくる!」

呆然と立ち尽くすハルの背中からもぞもぞと身じろぎして地面に降りたシュウは、足を怪我している事を忘れさせるスピードで里へと走って行ってしまった。あれだけ元気ならば背負う必要は無かったんじゃ、とうっすらハルは思うがそのまま見送る。ただいまーというシュウの声を遠くに聞きながら、ハルはぎこちない動きでハクトを見下ろした。

「ハクトさん……もちろんハクトさんはこの事を知っていて案内したんだよな」
「この事とは何の事じゃ?」
「この、竜人っつー奴らの里って事だよ!」
「無論じゃ、あの谷を越えるには、空を飛ぶぐらいしか方法はあるまい。目の前の者たちが一番適している事はいくらハムでも分かるじゃろう」
「いや、分かるけど……!」

確かにハクトの言う通り、どんなに大きく深い谷でも空が飛べれば関係が無い。そしてハル達がその谷を越えるには、空を飛べる者に運んで貰わなければならない。そういう意味では、人間の姿で対話が出来て竜の姿で空が飛べるこの竜人という種族はかなり適しているだろう。しかしハルは、目の前のこの(見た目だけ)子どもに以前聞いた竜人の話を、まだしっかりと覚えていた。

「でもハクトさん前に言ってただろ、竜人の中には人間を頭からバリバリ食べちゃうような奴らもいるって!」
「確かに似たような事を言ったのう。安心せいハム、赤竜人は竜人の中で最も人間に友好的な一族じゃ」
「ほ……本当か?」

サングラスをかけたままのハクトが安心させるようにこくりと頷く。それを見て、ハルは胸をなでおろした。実際に目の前に自分より大きな竜が空をうろうろしているのだから、恐怖もひとしおであった。ハルがホッとしたのを見て、危険が無い事が分かったカエデが全身に入れていた力を僅かに緩める。

「ハル、この竜たちは倒さなくてもいい竜って事?」
「お前倒すつもりだったのかよ……大丈夫だってさ、少なくとも食われたりはしないはずだ」
「なーんだ良かった。それならうろうろしても安心って事か!」

途端に元気になったのは、さっきまで険しい道を歩いていたせいでへばっていたはずのヘリオだった。軽い足取りで里の方へと歩き出したので、ハルは慌てて声をかける。

「おいヘリオ、どこ行くつもりだ!」
「どこって、珍しい竜人族とやらの顔を拝みにだよ。俺様好みの綺麗なお姉さまがいるかもしれないじゃんー?人間風情が気安く話しかけないでこの下衆って罵ってくれる人がいたら最高だなあ!」

べらべらと勝手な事を言いながらもヘリオの足は止まらない。そのフットワークの軽さに、さすがのハルも呆れを通り越して感心するほどだった。

「いくら一番友好的だっつっても竜が怖くないのかあいつ……すげえな」
「何も考えていないだけのように思えるがの」
「ハル、ヘリオが行っちゃう」
「こんな所ではぐれたら面倒だ、仕方が無い追いかけるか……」

しぶしぶとハル達もヘリオを追って、里の中に足を踏み入れる。
底が深いお盆のような地形をしたこの里には、基本的に岩をくり抜いた家が点在していた。しかし入口が普通に地面にある家はわずかで、大半が切り立った壁の、ずっと上の方にぽっかりと空いているようだ。本当に竜の姿に自由自在に変身できる証だった。しかしふと、ハルは疑問に思う。

「空が飛べるならあんな高い所の出入り口でも便利なんだろうけど、シュウみたいにまだ竜になれない子どもはこれどうしているんだ?」
「わずかに地面にも入口のある家があるじゃろう、あれがいわゆる子ども部屋じゃ。子どもはまとめて皆あの子ども部屋で育てられておる」
「まとめて?親元から離されるって事か。子ども皆集まるなら寂しかないだろうけど、親子一緒にいれないっていうのは少し可哀想だな」

ハルの言葉に一瞬ハクトは怪訝な表情を浮かべたが、すぐに何かに思い当たったように、ああと声を上げた。

「おおそうじゃ、わしとした事が失念しておったわ。人間は実際に産んだ親が子を養い家族となるんじゃったな」
「は?あ、当たり前だろ?」
「竜人にとっては当たり前ではないのじゃよ。竜人は一族全員が家族となる。自分より年上の竜人は共に学ぶ兄や姉であり、養ってくれる親であり、祖父母であり。自分より年下の竜人は弟や妹であり、守るべき存在である子であり、孫であるのじゃ。実際に誰が産んだかなど関係ない、生まれた瞬間、周りの全てが家族なのじゃ」
「そ、そうだったのか……」

ハルは、道中シュウとした会話を思い出していた。ツバキという女性との関係に少し納得がいかなかった部分があったが、なるほどそういう事だったのか。それにしても、まだ疑問は残っている。ハルは恐る恐る、ハクトに尋ねかけていた。

「なあハクトさん、ついでにもう一ついいか?」
「なんじゃ」
「シュウがさ、さっきツバキって人との歳の差が100歳とかふざけた事を言っていたんだが、それは一体……?」
「おおそれか、それは……」
「ハクト!」

答えようとしたハクトの声を、初めて聞く声が遮った。全員で振り向けば、里の方からシュウを従えて歩み寄ってくる真っ赤な髪の女性が、こちらへ大きく手を振っていた。緩くウェーブのかかった赤の髪が、落ちて来始めた日の光を浴びてまるで、ゆらゆらと揺らめく水面のように輝いて見えた。女性を見た途端、少し離れて里の中を眺めまわしていたヘリオがすっ飛んでくる。

「うはーっ俺様好みの綺麗なお姉さま!何あの美人!あの長く細く張りのある腕をふるって見下されながら何度もビンタされた……ってえ?!」
「ヘリオじゃないけど、確かに美人だ。カエデといい勝負かもな」
「お主も黙っておれ。まったく、どいつもこいつも……」

いつものようにうるさいヘリオを足の指の先を思い切りふんづけて黙らせ、さりげなく無意識に惚気るハルに呆れた視線を向けてから、大きなため息を隠す事無く吐き出しながら歩き出すハクト。女性もそのまま真っ直ぐにハクトへ歩み寄ってきた。
近づいてきた女性が辛うじて自分よりも背が低い事を確認して、ハルはこっそりと安堵していた。どこか勝ち気そうな金色の目とカエデよりもグラマラスな体型、そして堂々とした佇まいのお陰で、実際の身長よりも彼女をより大きく見せていた。これ以上女性に背を抜かれてたまるかと、ハルは歯ぎしりしながら思っているのである。
そこで気付いた。また、金色の目だ。ハルはここ最近、この色の瞳と会う機会が多い。一番初めにハクトの金色の目を見た時、珍しいその色に驚いたのだが、実はそんなに珍しいものではなかったのだろうか。……いや。ハルはその理由が、もっと別な所にあるのではないかと思った。即ち、本来ならば珍しいはずの金色の目に出会う確率が高い、その理由が。

「ハクト、あなた本当にハクトなの?久しぶりじゃないー!最後に会ってから全然変わってないわね相変わらず!おまけにあなたが私に直々に会いに来るなんてね!」

ハルの思考は女性の声が上がったことで早々に散った。女性は笑顔でハクトの目の前に立ち止まると、その身体を躊躇なく持ち上げた。いくら推定五歳児の身体とはいえ、女性の力でああも軽々と持ち上げてみせるとは。竜人とは基礎体力から人間とは違うのかもしれない。

「久しいな、ツバキ。わしがここに立ち寄ったのは色んな偶然が重なった故じゃ。いきなりすまなかったな」
「それはいいんだけど、あなたまだそんな爺臭い話し方してるの?そんなに若々しい身体してるんだから、もっとフレッシュな言葉使って子どもになりきっちゃえばいいのに」
「ほっとけ」

女性、ツバキとハクトは旧知の仲のように親しげな空気で会話をし始めた。知り合いというのは本当だったようだ。足を空中でぶらぶらさせながら、ハクトはにこにこ笑顔のツバキへと本題を切り出した。

「ツバキ、わしがここへ来たのは他でもない、お主に頼みがあるのじゃが」
「なあに?まあでも、何を頼みたいか大体分かっちゃってるんだけどね」
「ふむ、さすがにすぐそこの橋が落ちている事は知っておったか」
「そりゃあ私たちの縄張りですもの。人間が何人も落胆しながら来た道を戻って行く様は気の毒でもあったけど、少し面白かったわ。飛べないって本当不便ね、可哀想ーってハクトもだったか。さて、あなた一人だったら今すぐにでも乗せてあげられたんだけど」

ぺらぺらとご機嫌に喋り倒したツバキはちらりと、ハクト越しにハル達へと視線を向けてきた。今までずっと和やかに会話をしていたが、その金色の鋭い光で見つめられるとさすがに緊張する。ハルが思わず背筋を伸ばしていると、じっと見つめていた瞳がおかしそうに歪められた。

「あの子たち、あなたの連れ?」
「見たら分かろう」
「分からないから聞いてるのよ。分からないって言うより、信じられない、かしら。ずっと引きこもって本ばかり読んでいると思ったら、いきなりあれだけ連れて旅してるなんて、どういう風の吹きまわし?」

ツバキの質問に、ハクトはふんと息を吐き出すだけだった。なので仕方が無いとばかりにツバキ自身がハル達へと向き直ってきた。

「あなたたち少し変わってるけど人間ね。私はツバキ、見たとおり赤竜人よ。このちっこいハクトとは昔からのちょっとした知り合いなの。よろしく」
「あ、俺はハル、こっちがカエデだ。ハクトさんとはまあ、色々あって今一緒に旅をしている途中なんだ、よろしく。ほらカエデも」
「よろしく」
「初めましてツバキさん、あなたの美しさに魅入られた美の奴隷こと俺様の名はヘリ……」
「こっちの変態はヘリオ、適当にあしらってくれ」
「ヒメひどい!せめて自己紹介ぐらいさせてくれたっていいのに!初対面でも女性をすぐさま虜にしてしまう能力を生まれながらに持ってしまった悲しくも美しい運命の俺様に嫉妬してしまうのは仕方が無いけど!」
「お前に嫉妬だなんて死んでもしてたまるか!」
「あははっ面白い子たちねー。ハクトが連れてるんだから普通の子たちじゃないとは思ったけど」

ちょっぴり失礼な事を言いながらおかしそうに笑ったツバキは、まだ持ち上げたままだったハクトへと視線を戻した。

「気に入ったわ、乗せてあげてもいいけど私一人じゃさすがに四人は無理ね。明日になればあなたたちを乗せてあげられそうな弟分が里に帰ってくるはずだから、一晩泊まっていかない?」
「ふむ、回り道をするよりは遥かにそちらの方が早いな。どうじゃハム」
「え、でも……赤竜人の里に、俺達が泊まってもいいのか?」

ハルは不安を胸に抱きながら里を見回した。ここから見える範囲でも、数人の赤竜人たちがこちらの様子を窺っているのが見てとれた。こういう奥まった場所に隠れて暮らしているぐらいだから、人間を寄せ付けたくない理由があるはずだ。そんな中に堂々と人間である自分たちが滞在していいものなのだろうか。考えれば考えるほど、ハルの頭の中にはこっそり食べられてしまう己の想像画しか浮かんでこないのだった。
そのハルの考えを表情で読み取ったのか、ツバキが安心させるように手を広げる。

「気にしない気にしない、その辺でこっち見てるの何人かいるけど、ただあなたたちが珍しいだけだから。この里に人間が来るのも、何十年ぶりってぐらいだからね。少なくとも敵意は無いから安心してちょうだい」
「ほ、本当か?」
「もちろん。いたとしても私がちゃーんと止めてあげるから。ハクトの連れを食べさせるわけにはいかないからねー。あなたたち飛べないから使って無い子ども部屋を用意してあげるわ、今日はそこに泊まってね。それじゃっ」

言うだけ言うと、ツバキはハクトを持ち上げたままどこかへと歩き始めてしまった。ハルたちが泊まる部屋を用意してくれるのだろう。ハクトをそのまま持っていってしまったのは、このままつもる話があるからかもしれない。このままついて行ってもいいのか、それともここで待っていた方が良いのか、判断に困ったハルはしばしそのまま立ちつくしていた。カエデが呆然とするハルを呼びもどそうとするかのように、その袖を引っ張ってくる。

「ハル、ハクトが連れてかれた」
「あ、ああ、まあハクトさんなら大丈夫だろ、相手は昔からの知り合いなんだし。問題は俺たちだよ、どうしようかな……」
「使って無い子ども部屋なら一つだけだから、私場所分かるよ!連れて行ってあげる!」

突然声を掛けられてハルはびくりと肩を跳ねさせる。下を見下ろしてみれば、すっかり存在を忘れていたシュウが笑顔でこちらを見上げている姿があった。さっき出会ったばかりであるが、突然放り出された見知らぬ里の中では何よりも安心出来る笑顔だった。ハルは思わず安堵の息を零す。

「それは助かるな。頼めるか、シュウ」
「うん!」
「ああ、俺様は里の中を見て回ってから適当に帰ってくるからお構いなくー。さって、ツバキさんぐらいの美女が他にもいないかなーっと!」
「あーはいはい、行って来い行って来い」

ご機嫌なスキップで離れていくヘリオを見送った後、ハルはカエデを伴って、腕を引っ張ってくるシュウの後をついて歩いた。里はそんなに広く無く、目的地である子ども部屋らしき入口はすぐに目の前に現れたが、その間にカエデがどこか興味深そうに尋ねてきた。

「ハル、ここの人は皆同じ髪の色と同じ目の色をしている」
「ああそうだな。そういやハクトさんが言ってたな、竜人は種族ごとに髪の色が違うって。目の色も同じなのかな」
「えへへ、ちょっと惜しいなハムー」
「ハムじゃねえハルだ」

前を歩いていたシュウはハルとカエデを振り返って、ちょいちょいと手招きをしてくる。その仕草で耳を貸せと言っているのだと察したハルは、カエデの頭を軽く引き寄せて二人でシュウに耳を近づけてやる。シュウは内緒話をするように口に手を当てて、教えてくれた。

「この目の色はね、竜人だったら誰でもこの色なんだって。私はまだ他の竜人をほとんど見た事無いけど、ツバキ姉ちゃんが言ってた!」
「へえ、そうだったのか」

ハルは納得した。だからこの里にいる全員が、あの珍しい金色の目をしていたのだ。やはりありふれた名前ではなかったのだ。納得したと同時に、ハルは思い出してしまっていた。きっと同じタイミングで、カエデも気付いたのだろう。パッとハルを振り返ってくる。

「ハル、それじゃ」
「カエデ。その先は今は言うな」
「?」

二人の様子にシュウが首を傾げる中、口に人差し指を当てるハルを真似て、カエデも口に指をかざして黙り込む。二人で同時に頭に思い描いたのは、最近一番身近にあった、意志の強さを感じるあの幼い金色の瞳であった。
ハルは、ツバキとハクトが去って行った方向へ無意識に目を向ける。もう二人の姿はここからは見えなかった。

12/05/18



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