草木もあまり生えない険しい渓谷を越えた先に広がる平原はとても広く、何十キロ先まで凹凸のあまり無い平坦でのどかな大地が続いている。この広い平原には、いくら迷っても一日で抜け出せてしまいそうな小さな森や林と、村というよりも4、5つの家々が固まる集落がぽつぽつといくつも存在していた。集落同士は頻繁に交流があり、集落と集落を繋ぐ何本もの細い道が平原の上に張り巡らされていて、住人達のみならず平原を横切る商人や旅人達が自由に行き来しているのだった。
そんな、色んなものがまばらに存在する平原にも、一つだけ村と呼べるような大きな集落があった。ちょうど平原の真ん中に存在するその村は、この平原一体の名称である「バルトラ地方」から取ってルトラ村と呼ばれている。特産品のコバルトラキイチゴを積極的に売り出したりなどして最近旅人達を呼び込む取り組みを行っているこの村に、今日、普段の何倍もの人々が集まっていた。
「大会?」
思わずハルは声を上げていた。どうやら目が良いらしいカエデが、人ごみの後ろから背伸びをして看板を読んでくれた所だった。野生のイチゴ畑から数日かけてやってきたこのルトラ村で出会った賑やかな人ごみ。その正体は、明日から行われるとある大会のために遠路はるばる集まった参加者たちだったようだ。
「大会って、一体何の大会なんだ?」
「そこまではまだ見えない。もう少し待って」
カエデはまだ懸命に背伸びをして覗き込もうとしている。背の高いカエデがあそこまで頑張らなければ見えないのならば、自分には到底無理だなと早々に背伸びを諦めたハルは、変わりに辺りを見回した。集まっている人々は力が自慢の精鋭たち、という訳では無く、老若男女がばらばらに和気あいあいとどこか楽しげな様子であった。その和やかな雰囲気で、この大会が命をかけるような激しいものではない事が分かる。
「へー、田舎丸出しのしみったれた村でも、こうやって人が集まっているとそれなりに賑やかだねえ」
「ヘリオお前一回ここの村人に袋叩きにされて来い。それにしても明日がその大会なんて、俺達すごいタイミングで通りかかったよな」
「大会というからには優劣をつけるものであるのじゃろうな。優勝者には何が与えられるのか、少々気になるのう」
「あー確かに。参加賞とか出るのかな、ものによっては参加してみてもいいかもな」
「えー?こんなしょぼくれた田舎の村の賞品なんてきっと同じぐらいしょぼいよ?参加するだけ無駄じゃない?」
「だからお前一回ここの村人に磔にされて来いっての」
三人で他愛もない話をしながら待っていると、カエデが背伸びをやめて振り返ってきた。
「カエデ、どうだ?」
「うん、読めた。一字一句全て間違える事無くそのまま覚えたから安心して」
「いや、そこまでの正確さは求めて無かったんだが……まあいいか、なんて書いてあったんだ?」
促せば、カエデは頭の中に記憶した文章を思い出すかのように目を細めて、口を開いた。
「第26回バルトラ大会!なんと誰でも何人からでも参加OK☆村人だけでなく旅人さんもどしどし参加しちゃってね!参加受け付けは前日の日が沈むまで!体力、知力、そして団結力が問われるこの大会……今年優勝を手にするチームは、君たちかもしれない!」
「お、おお……随分とフランクな看板だったんだな」
すらすらと無表情無感動で読みあげてくれるカエデの言葉と内容のギャップに少し戸惑う。逆にいきなりノリノリで読まれても驚いただろうが。そこまで聞いて、ハルは渋い顔で仲間達を見回した。
「しかし、チーム戦か……。このメンバーで」
「何じゃ不満かハムよ」
「いや不満というか不安というか」
「体力知力団結力ねえ。美しさや高貴さ気高さを競う大会なら俺様一人で優勝をかっさらえた所なのに残念だなあ」
「ああ、変態力とか間抜け力ならお前一人で他を凌駕していたんだがな、残念だ」
話しながらも周りに漂う空気に最早勢いは無い。これは余計な体力を使うよりも大会参加をスルーするべきかとハルが考えていた時、カエデがこちらの気を引く様に袖を引っ張ってくる。
「ハル、まだ続きがある」
「は?続き?まだ何か書いてあったのか」
「うん。賞品の事」
「何だ重要じゃないか。言ってみろ」
こくりと頷いたカエデは、さっきのように妙にテンションの高い文章を抑揚のない声ですらすらと読みあげてみせた。
「参加賞はバルトラ地方特産品、コバルトラキイチゴのジャム一瓶♪そしてそして、優勝賞品はなんと!この村に古から伝わる真紅の宝珠!その美しさは人々を魅了し、人類の甘美な願いを叶えてきたと伝えられているほどのお宝なんだぞっ☆今大会史上最高の賞品を手に入れるため!参加お待ちしてまーす♪」
カエデはそれっきり口を閉じた。どうやら終わりらしい。ハルは頭の中で今の話の内容をおさらいした。
「なるほど、参加賞はあのキイチゴのジャムか。ジャムならある程度は持ち歩けるな。有難いは有難いが、たった一瓶で参加するのもなあ」
「ハムよ、注目すべきはそこではなかろう」
「……やっぱり、俺の聞き間違いではなかった、か……」
ハクトにじろりと睨みつけられ、逃げる事を諦めたハルはきょとんと瞬きをするカエデに向き直った。
「カエデ、今の内容、確かなのか?」
「確かだ。一字一句正確に逃す事無く覚えたから」
「ああそう、そうだったな……。つまり紛れもなく書いてあった訳か。宝珠、って」
改めて言葉にして、ハルは眉を寄せた。手は自然と、己の持つ宝珠へと伸びていた。周りを見れば、ハクトも難しい顔で考え込み、ヘリオも驚きに目を丸くしている。カエデは相変わらず無表情でハルを見ていた。
まさかこんな村でこんな単語を耳にするとは思わなかった。人の願いを叶えるほどの力を持った知る人ぞ知るあの宝珠が、人気の少ないのどかな村に眠っていたとは。宝珠を調べ追い求めてきたハクトなんかはどこか悔しそうに見えるほどだ。
「ここで宝珠の名を耳にするとはな、さすがに予想外じゃった。思えばハムの持つ緋の宝珠も崩れ去った遺跡の中に眠っていたのじゃったな、こんな村に隠れていても不思議ではないのかもしれんの」
「い、いや待ってくれハクトさん。少し疑問に思う事があるんだ」
「何じゃ」
考え事を邪魔するように声を上げたハルをハクトが睨みあげる。見た目5歳児にいくら睨まれてもやっぱり全然怖くは無いなあと思いながら、ハルが声に出したのは別な事だった。気になる事があったのだ。
「俺の持っている宝珠はその名の通り赤色だろ?」
「そうじゃな」
「んで、この村の宝珠も真紅の宝珠って、つまり赤色って事じゃないか。色被りしてるんだけど、そんな事ってあるのか?」
「おお言われてみれば確かに。色が被るなんてダッサいなあ、センスの塊である俺様ならもっと美しい色配分で作るけどなー」
「ヘリオ、お前は黙っとけ」
「ふむ」
ハクトは手に持っていた本のページを数枚捲り、しばらく悩むように考え込む。本から顔を上げても、ハクトの表情からは未だ迷いが取れていなかった。
「可能性は無いとは言い切れぬな。今の所わしの知る限り、色が被っていた宝珠というのは聞いた事が無いが、ただわしの調査不足という可能性もある。実際に見て見ぬ事にはな」
「はいはーい!俺様、この目でその宝珠を見れば本物かそうじゃないかは分かるぜっ!」
すかさず手を上げて自己主張してきたヘリオに、ハルは冷たい視線を向けた。
「ほう?その根拠は?」
「うわあヒメのその俺様を心底信用していない目良いなあ、いつ見てもゾクゾクする!根拠も何も、俺様最初に会った時言ったでしょ。俺様自らが美しいが故に全ての美しいものを見分けるこの眼力で、宝珠を見抜く事なんて朝飯前ってさ!」
ドンと胸を張るヘリオを蹴り飛ばしてやりたい衝動に駆られるが、ハルが何かをする前にハクトが口を挟む。
「ハムよ、この大会、参加してみぬか」
「ええっ?!マジかよ」
「真紅の宝珠とやらにわしは興味がある。お主の宝珠を手に入れられなかった分、もしそれが本物ならじっくりと調べてみたい所なのじゃ。ただ眺めるのと、手で触って調べるのとでは大きな違いがあるからのう」
「そんな事言ってー、チビも宝珠に叶えてもらいたい願いがあるんじゃないのー?例えば俺様みたいに人類の宝のような輝かしい容姿を手に入れたいとか……ふぎゃーっ!」
「たわけが、わしにはそのような俗っぽい願いなど無いわ」
「でもハクトさん、宝珠の力でその姿を直してもらえば……い、いや、何でもない」
余計な事は言わんで良いとばかりに睨みつけられ、ハルは口をつぐんだ。視界の端にはハクトから電撃のお仕置きを受けたヘリオが地面に倒れ伏している。ああはなりたくない。
「そういう訳でじゃ、例え優勝出来なかったとしてもわしらに損は無い。それならば参加してみるのも良いと思ったのじゃが」
「なるほどな……確かに負けてもペナルティなんて無いんだし、参加してみるのもありかもな。でも仮に頑張ったとしても、優勝なんて出来るのか?俺達に」
不安げに視線をさまよわせるハルに、ハクトは小さな子どもの胸を張ってみせた。
「わしの個人的な見解じゃが、良い線はいくと思うんじゃがの。体力知力団結力じゃったか。団結力はともかく、体力ではカエデが、知力ではわしがついておる。後は盾役と捨て駒のエムオに……、ふむ、ツッコミのハムが揃えばそこそこいけるじゃろう」
「ハクトさん今俺の事すげえ適当に考えただろ」
「一番可哀想なのは俺様だけどね?」
ハクトの自信にあふれた姿に、ハルもだんだんとその気になってきた。ハル自身はそこまで突飛した能力がある訳ではないが、正体が普通の人間では無い者が二人も揃っているのだ。ヘリオだって変態なだけでなく一応不死身という能力持ちである。これだけの変人が揃っているチームなんて、そう無いだろう。
もう少しで納得しそうなハルの様子に、ハクトはもうひと押しとばかりにカエデへ目を向けた。
「カエデよ。お主は確かジャムが好物であったな。しかもイチゴが使われているものが」
「ジャム?あのパンに塗る奴か……あれはとても美味しかった……」
「先ほど自分が読みあげた看板の文章を思い出してみると良い」
「?」
「この大会に参加するだけで、そのイチゴのジャムを手に入れる事が出来るらしいぞ」
「!!」
カエデが驚きに目を見開いた。読みあげる事に夢中で内容について考えついていなかったらしい。カエデの頭の中にジャムとイチゴを食べた時の幸せな記憶が走馬灯のように甦る。そして無意識に、ハルを見つめていた。カエデが大会に参加するかしないかは、主人であるハルに掛かっているからだ。
声に出さずともカエデが何を望んでいるのか一瞬のうちに汲み取ったハルは、そのキラキラと輝く視線にうっと一瞬たじろぎ、すぐに決意をしていた。
「よし、買っても負けても損は無し、一か八かこの大会に参加してみるぞ。もし優勝出来たら儲けもんって感じだがな」
「うわー、ヒメもカエデ様もちょろいなあ。チビの言いなりになるのは癪だけどどーせ俺様に選択権は無いんでしょ?」
「そうだが何か文句でもあんのか?」
「とんでもないっむしろ命令されればされるだけ燃え上がるから問題無し!もっと俺様を蔑んで!何なら鞭も貸すから!」
「さて、それじゃ受け付けはどっちかな」
「うわーん放置プレイはもう飽きたよー!」
見れば、看板の前に群がっていた人々は粗方いなくなっていた。皆看板を読み終わって受付するなり何なりした後なのだろう。看板の向こう側で、どうやら大会の受付を行っているようだった。締め切りである日暮れまではまだ大分時間もある。ハル達はのんびりと気楽な様子で受付へと歩いた。
そうして、先頭のハルが代表で受付のお姉さんへと一歩踏み出した。
「あのー、俺達あそこに書いてある大会に出ようと思ってるんすけど」
「すみません、わたくしたち明日行われる大会に出場を希望している者なのですが」
台詞が被った。どうやら同じタイミングで脇から受付に声をかけた者がいたらしい。とっさにすまんと謝ろうと振り返ったハルだったが、その口はそのまま何も発する事無く、ぽかんと開きっぱなしになってしまう。
その視界に、銀色に輝く美しい髪を映してしまったからだった。
「……あら?」
向こうもハルに気がついた。互いに珍しい髪色を持っている者同士、忘れるはずが無い。忘れられる訳が無かった。ハルは一度、この少女に命を狙われているのだから。少女が追い求めているのは、ハルが持っている宝珠なのだから。
「まあ、なんて事でしょう。こんな所でハル様とお会い出来るなんて……わたくしたち、もしかしたら運命の糸で結ばれているのかもしれませんわね。……血のように真っ赤な、運命の糸で」
にっこりととても嬉しそうに、サディスティックに微笑んだソディの顔を、ハルはしばらく息をする事も忘れて、呆然と眺める事しか出来なかった。
第八話 決戦、バルトラ大会
12/09/18
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