「ハル!こっちへ」

ハルの静止した時を動かしたのは、カエデの声だった。同時に強く後ろへ腕を引っ張られ、数歩無意識に後ずさる。ハルが後ろに下がった分、立ちはだかる様にソディとの間に踏み込んだカエデ。そのまま強くソディを睨みつけたまま、ハルに声をかけてきた。

「ハル、大丈夫?何もされてない?」
「あ……、い、いや、まだ何も。ていうかカエデお前反応早いな……」
「こいつ、一度ハルを襲ってきた奴だ。そんな奴がハルに近づくなんて、許さない」

カエデに睨みつけられたまま、ソディはわざとらしく大げさにため息をついてみせる。

「いやですわ、わたくしまだ何もしておりませんのに。ハル様と隣同士になったのも偶然ですのよ?だってここは、誰にでも開かれている受付ですもの」
「受付……そうだ、ここは大会の受付!って事は」

ハルが問うように視線を向けると、ソディはにっこりと微笑んで肯定した。

「ええ、わたくしたちもこの記念すべき大会に参加する所でしたの。ハル様もそうなのでしょう?」
「ま、まあそうだけど……わたくしたちって?」

今度の問いには、ソディは視線を向けることで答えた。ソディが向いた方向に釣られるように顔を動かせば、まず視界に映ったのは、鮮烈な強い光を放つような金色の瞳であった。次に短く切りこまれた深い森の色の髪が目に入る。その記憶に残る色と長身、ハルはすぐに思い出していた。今こちらへと近づいてくるその姿は、以前ソディと同じタイミングで出会った人物だ。

「またソディが騒ぎを起こしたのかと見に来てみれば……ハル、まさか君たちとこんなにも早く再会する事になるとはな」
「ま、マツバも一緒だったのか。それじゃあ、二人で大会に?」
「ええ。残念な事にわたくしとマツバはあまり気が合わないのですが、これでも仕事仲間ですから、やる時はやりますわ」
「仕事って……」

呟いてから、ハルはすぐに思い当たる。ソディは以前も同じように仕事だと言っていた。ハルの持つ、緋の宝珠を奪いに襲いかかって来た時に。そう、ソディたちの仕事は、宝珠を集める事なのだ。つまりはこの二人も、この大会の優勝賞品が目当てという訳だ。
しかしソディが自分たちの事をべらべら喋っているとは知る由もないマツバは、少々歯切れの悪い物言いで説明してくれた。

「そう、我々はとある人から仕事、みたいなものを頼まれていてな。その仕事に、この大会の優勝賞品が必要なんだ。それで仕方なく参加する所なのだが……君たちもそれが目当てか?」
「えっ?!あ、ああまあ、そうだな、うん」
「そうか……いや、無理もない。願いの叶うアイテムとなれば、人は誰だって欲しがるものだ。時には奪い合ってでもな……」

マツバの印象的な金色の瞳がすっと細められる。意味ありげな言葉であった。何か思う所があるのだろうか。
少々ぼんやりとマツバの様子を眺めていたハルは、唐突にある事に思い至った。バチンと音をたてたような勢いで我に返った後、思わず声を上げる。

「あ……あーっ!」
「なっ?!ど、どうしたんだいきなり」
「ハル様、いきなり声を上げられたらびっくりしてしまいますわ。気が狂ったんですの?」
「ハル?」

マツバ、ソディ、カエデに順番に見つめられて少々恥ずかしく思うハルだったが、動揺を抑えられる気はしなかった。思い出すと同時に、気付いてしまったのだ。マツバの事だ。
そうだ、マツバの目は、ハクトのあの鋭い視線を思い出させるような、強い光を放つ金色だった……。

「うわあーっソディちゃん!ソディちゃんじゃないかー!こんな所で再び君と出会えるなんて、俺様はなんて幸運の女神に愛された美青年なんだろう!」

驚きに固まるハルの思考を砕いたのは、背後から聞こえてきた腑抜けた声だった。ハルの声を聞きつけてやってきたらしいヘリオが、ソディを発見して大喜びで近寄って来たのだ。対するソディはというと、氷よりも冷たい視線でヘリオを一瞥しただけであった。

「申し訳ありませんが、気安く話しかけないで頂けます?わたくし、人以下の価値すら存在しないゴミのような男の知り合いはおりませんの」
「それっその目とその言葉!全力で俺様を蔑むソディちゃん美しいよーさすがソディちゃん!もっと!もっと俺様を踏みにじって!」
「汚らわしい、話しかけないでと言ったはずですわよ虫けら!視線を合わせるのすらおこがましいですわ、わたくしの前にひざまずきなさい!」
「ははあーっ女王様ー」
「うーん……ソディと匹敵するほどの変人がまだ存在していたとは……」

全力で他人の振りをしたくなるような光景に、呆れを通り越して感心している様子のマツバ。そのマツバに見つからないようにこっそりと後ろに下がったハルは、陰に隠れるように佇んでいたハクトへと近づいて、小声で話しかけた。

「なあおい、ハクトさん。あのマツバって奴、見たか?」
「何じゃ」
「ほら、目が金色だろ。だからもしかして、あいつも竜人なんじゃないか……って、準備万端だなハクトさん」

ハルが目を向ければ、ハクトはあの赤竜人の里でも見たサングラスをかけていた。どうやらハルが気付くより早く行動に移していたらしい。ハクトはちょっとサイズの大きいサングラスを押し上げながら、じっとマツバを見つめている。

「わしの知る限り、金色の目を持つ種族は竜人以外に存在しない。つまりはそういう事じゃ」
「や、やっぱりそうか……知らず知らずのうちにこんなに竜人の知り合いが出来ていたとはな……。ところでハクトさん、マツバは知り合いだったりしないのか?」

同じ竜人同士、接点があってもおかしくはないだろうというハルの何気ない質問だった。しかしその問いにハクトは一瞬固まった。気のせいだと錯覚してしまいそうなほど一瞬の出来事だったが、確かにハクトはハルの言葉に反応したようだった。そのと事についてハルが何か言う前に、誤魔化すように少し早口でハクトが答える。

「さあて、知らぬな」
「え、でも、じゃあなんでわざわざ目の色を隠すんだ?」
「相手に同族だと知れて話しかけられるのが面倒なだけじゃ。こう見えてもわしはコミュニケーション能力がそんなに高くないのでの」
「そ、そうか?特にそう感じる事はないんだけど……」

本人がそう言うなら無理強いは出来ない。ハクトを問いただす事は早々に諦めてハルが視線を戻すと、ちょうどマツバがハル達の元へと近づいてきた所であった。その向こう側では、地面にひざまずくヘリオの頭をソディが踏みつけている所のようだ。見なかった事にした。

「ハル、私は今からソディに代わって大会の受付を済ませてこようと思うが、君たちはどうする?」
「あーそうだな、それじゃあマツバの後に受付を済ますか」
「そうか、やはり参加するつもりか……」
「はっ!いや勘違いするなよ、俺達は別に貪欲に優勝を狙ってる訳じゃないんだ。優勝出来れば儲けもん、そうでなくても参加賞のジャムがもらえればって感じでだな」
「わしは優勝をある程度狙っておるんじゃがの」

ハルの背後でぼそりとハクトが呟く。しかしマツバの前なので強く言えないようだ。ハルの言葉を聞いて、マツバはどこか安心したように息を吐き出した。

「なるほど、そうだったのか。さっき言った通り我々は仕事で優勝賞品を是非手に入れたい所だったのでな、もし君たちが本気で優勝するつもりならば、私たちも全力で君たちを潰さなければならない所だった。よかったよ」
「は、はは……俺も良かったよ、潰されずにすんで」

マツバの目がずっと本気だったので、ハルは背筋がぞぞっと寒くなる心地がした。見た目や口調からして真面目そうな雰囲気のマツバは、どうやら見た目だけではないようだ。つまり、冗談なんて言わない、常に本気なのだ。それだけに今の言葉は怖い。マツバの正体を知っているだけになおさら怖い。

「それじゃあ行ってくるよ。ああそれと、ソディに絡まれたらすぐに知らせてくれ、私がすぐに取り押さえよう」
「あ、それならお構いなく。うちの変態が相手してるっつーかしてもらってるから」
「……お互いに、同行人に苦労しているようだな」
「まあな……」

一瞬交わった視線が、親しみを持てる苦労人の色を帯びていた。互いに苦労を分かち合うように頷き合ってから、マツバは受付へと歩いて行く。ソディと一緒にマツバがいてくれてよかった、そう思える頼もしい背中だった。事実マツバがいなければ、ハルの旅はソディに襲われたロスロドの町で終わっていたかもしれない。改めて、感謝と尊敬の念を込めて、ハルはマツバを見送った。
そして、マツバが離れるのを待っていたかのようにハルへと近づくソディ。その手にはあの銀色のナイフ、そして背後には地面に倒れるヘリオの姿があった。ヘリオが不死身だという事実を知らなければ叫んでいたかもしれない場面だが、ここから見えるヘリオの顔が恍惚の表情を浮かべていたので白けた視線を送るだけに留める。すぐに反応したカエデがハルの前にすかさず立ちはだかるが、意に介さない様子でソディはハルに話しかけてきた。

「ハル様、わたくし提案があるのですけど」
「な、何だよいきなり」
「今から参加する大会で、わたくしと賭けをいたしません?」
「賭けだって?」

意図が読めずにハルが困惑顔でソディを見ると、にこりと微笑まれた。腹に真っ黒すぎる一物を抱えているという真実を知らなければ、普通に天使のような微笑みに見えただろう。

「そう、賭けですわ。この大会で、もしハル様たちが優勝する事が出来ればわたくし、今回はハル様の持つ宝珠を奪う事を諦めて差し上げますわ」
「ってお前奪う気だったのかよ!諦めるって、本当だろうな?」
「ええ、わたくし嘘はつきませんわ。ただし、わたくしたちが優勝した場合は……」

ソディは意味ありげな間をとった後、心から楽しそうに笑いながら言った。

「ハル様を頂きますわ」
「……は?」
「ちょちょちょーっと待ったー!何でどうしてソディちゃん!俺様じゃなくてどうしてヒメなの?!俺様なら四六時中年中無休でソディちゃんのものになるのに!ていうかもう俺様ソディちゃんの所有物としての人生を送ってもいいぐらいなのに……ぐはっ!」
「仕方ありませんの。本来ならハル様を思う存分限界までいじめ抜いてから、泣いて許しを懇願する所をじわじわと嬲り殺して差し上げてから宝珠を頂くのが礼儀だと思うのですが」
「そんな礼儀あってたまるか」

残念そうなソディも及び腰になっているハルも、途中で割り込もうとしてすぐにソディに足蹴にされて沈んだヘリオの事など眼中にない。

「そういうとても楽しい行為をマツバはすごく嫌っておりますの。今は通りすがりに軽く人を襲う事すら禁止されておりますのよ、どう思われます?」
「マツバは尊敬するに値する素晴らしい人物だと俺は思うな」
「宝珠を手に入れるには宿主を殺すしかない、これは周知の事実ですわね。ですからハル様のお命を頂く事が出来ないなら、ハル様ごと宝珠を頂くしかありませんでしょ?それならきっと、マツバも納得しますわ。わたくしも、命をとらないようギリギリの所で生かしておきながらハル様を存分に痛めつける事が出来ますし……うふふ」

どんな想像をしたのか、ソディの口から思わずといった笑いがこぼれる。ハルは恐怖のあまりちょっぴり泣きそうになりながら、必死に反論した。

「そんな事言われて誰がそんな賭けに乗るかよ!お前らがめちゃくちゃ強そうなのは見てるだけで分かるし!そんな分の悪い賭け、乗る方が馬鹿だ!」
「それではハル様、賭けに乗って下さらないの?」
「当たり前だ!」
「それは困りましたわ……それならばわたくし、お仕事を全うするためにハル様の宝珠の事を、マツバにお話しなければなりませんわね」
「なっ?!」

そう来るとは思わず、ハルは思わず驚愕の声を上げる。ソディは相変わらず恐ろしい笑みを浮かべたままだ。

「マツバがとても真面目な仕事人間である事は、少しお話しただけのハル様達にも分かって頂けましたわね?そのマツバがハル様の宝珠の事を知れば……大会どころではありませんわ。おそらく、先ほど話した賭けに負けた時と同じ状況になるでしょう。ハル様はそれを望んでいらっしゃるの?」
「う……うぐぐ……」

ハルの口から苦悩の声が漏れる。むしろまだソディがハルの事をマツバに話していなかった事の方が驚きだが、今日この時のような場面が来る事を想定していたというのだろうか。カエデの陰に隠れながら、ハルは悩んだ。自分は一体どうすればいいのだろうか。ソディは余裕たっぷりの表情で笑っている。

「さあお決めになって、ハル様。わたくし、マツバと違ってそんなにこのお仕事に熱心ではありませんの。わたくしの事をより楽しませてくれそうな出来事があれば、簡単にそちらへ傾いてしまうようなイケナイ可憐な小悪魔ですのよ」

最早ハルにはソディの言葉につっこむ余裕すら無い。焦りのあまり、額から汗が流れ落ちていく。いっそのこと、この場から逃げ出す選択肢もありなのかもしれない。しかしそうなると確実にマツバに宝珠の事がばれるし、ソディの尋常ではない足の速さですぐに追いつかれてしまうだろう。ならばやはり、賭けるしかないのか。優勝する自信はまったく無いが……。
恐怖と緊張でかちかちに固まるハルの腕に、その時そっとぬくもりが触れた。過剰に反応してハルが首を巡らせば、曇りのない美しい緋の瞳が自分を見つめている事にようやく気がつく。カエデはハルを安心させるように、優しく腕を握りしめていた。

「ハル、大丈夫。例えどんな結果になっても、私がハルを守るから。ハルには指一本触れさせない。誰にも傷つけさせない。だから、大丈夫」
「カエデ……」
「前々から疑問に思っていたのですが、もしかしてカエデさんはハル様の守護騎士ですの?わたくしの守護騎士も人並み外れていると自覚しておりますけど、ハル様も大概ですわね」

カエデの全身をじっくり眺めながらソディが呟いている。お前には絶対に負けるよ、とハルが心の中で返していると、サングラスを押し上げながらハクトも隣に並んできた。

「ふむ、問題ない。ようは優勝してしまえば良いのじゃろう。元よりわしはそのつもりだったのでな、賭けに文句はないわい」
「は、ハクトさん、何でそんな自信に溢れてるんだ……」
「例え負けたとしても痛めつけられるのはハムだしの」
「ひどすぎるし!」
「それでは、賭けは成立ですわね。ふふっ片田舎の大会なんてつまらないだけと思っておりましたが、これで楽しく参加出来ますわ。ハル様、どうか恐怖に怯えながらも小さな希望だけは捨てきれない、そんな加虐心をくすぐる様な姿を期待しておりますわ」

ソディは言いたいだけ言って、スキップでもしそうな軽やかな足取りで立ち去って行った。ハルはしばらく呆然と立ち尽くすしかなかった。まさか自分の運命が、こんな地方の大会一つで決まってしまう事になろうとは。しかも間違いなく不利な状況で。
最早何も考えられない頭に、純粋にハルの事を心配するカエデの声が溶け込んでくる。

「ハル?とても顔色が悪い、大丈夫?」
「……カエデ……」

どこからか込み上げてくるものをぐっと我慢して、自分の腕を掴んだままのカエデの手を握り返しながら、ハルはしみじみと言った。

「お前だけだよ、純粋な俺の味方は……」
「?当たり前だ、私はハルを守るためにここにいるのだから」
「じゃが、この状況の原因のほとんどはカエデの元である緋の宝珠のせいなんじゃがな」
「ハクトさんすこし黙っていてくれ」
「まだヒメはいいじゃん……俺様の事心配してくれる人はここに一人もいないんだぜ……世界が羨む美貌を持つと苦労するわあ」
「ヘリオは永遠に黙れ」

カエデのぬくもりを掌で感じながら、ハルの胸には大きな不安の塊がずっと渦巻いているのだった。
今夜は、眠れそうにない。

12/10/06



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