夢のサンタクロース



今日がクリスマスイブの夜であるという事実は、翔太にとってほとんど関係のない事であった。サンタクロースを信じていた時期はとっくの昔に過ぎていたし、両親からすでにプレゼントは貰っていた。小学生のころ一度だけ、クラスメイトが開いたクリスマスパーティに参加した事があったが、今年はそれも無い。ついでにイブの夜に一緒に過ごすような女の子もまだいない。夕飯を食べ風呂に入り宿題、はまだ置いといて、ボーっと漫画でも読んでいれば寝る時間なんてすぐに来てしまう。

「なあ翔太、こうやって手を掲げてこうすれば、この漫画のように必殺技が出せるだろうか」
「出来るんじゃない?死神なら」

寝る時間になったらどこかに行ってしまう死神も、外がこう寒いと何かと部屋の中に留まっている。漫画を真似ているらしい、奇妙な動きをしている死神を目の端に捉えながら、翔太はマイペースにページをめくる。最早この変な男にも慣れたものだ。翔太の今年のクリスマスイブは、こうしてのんびりと過ぎていく。
はずだった。

「おお、見ろ翔太、外では雪が降り始めたようだ」
「うわっ寒いなあ、いきなり窓開けないでよ……。って、雪降ってるの?じゃあホワイトクリスマスだね」
「ん?ああ、雪が白いからホワイトか」
「そうそう」
「では、クリスマスとは?」
「あれっ死神クリスマス知らなかったの?今日はクリスマスイブなんだよ」

どうせ暇なので説明してやろうと、開け放たれた窓からちらちらと雪が降り始めた夜の空を並んで見上げながら口を開いた翔太だったが、その先の言葉が続く事は無かった。空に、雪以外の何かが見えたからだ。
見えた、と頭が認識した時には、もう遅かった。それはあっという間に豆粒ぐらいの大きさから、目の前一杯に広がったのだ。ぼーっとしていた翔太は、死神がさりげなく襟首をつまんで窓の前から引っ張り出してくれていなければ、そのままそれに激突していた所だっただろう。そう、翔太が見たそれは、真っ直ぐ翔太めがけて空を飛んできたのだ。
ドシンと大きな音を鳴らして家の壁に激突したのは、何かの乗り物だった。そしてその乗り物から滑り落ちるように翔太の部屋に転がり込んできたのは、真っ赤な服を着た誰か。

「っってー!あーもう、あのトナカイ言う事一つも聞きやがらない!トナカイ鍋にでもして食ってやろうか!」

何が起こったのか分からないまま呆然とする翔太の目の前、罵声を吐きながら痛そうに頭を押さえるその人間は、もこもこで温かそうな赤い服を身に纏った人物だった。その服装に翔太はとても心当たりがあった。服装だけ見ればまさしく世の中の今夜の主役、サンタクロースであろう。そう、服装だけ見れば、だ。
少なくとも翔太は、長い金髪で眉毛を剃ってガラの悪い女のサンタクロースなんて、見た事も聞いた事もなかった。

「彼女は一体どちら様かな?」

死神が呑気な声を上げる。その声に反応したサンタクロースの格好をした女は、機嫌が悪そうな顔でじろりとこちらを睨みつけた。

「あー?私のこの姿を見て見当もつかないって言うの?」
「知らないな」
「その、見当は少しつくけど……すいません、やっぱり僕も分からないです」
「この赤い服、赤い帽子、そして今外にあるソリ、向こうでこっち見て笑ってるトナカイ、それを見れば私がサンタクロースだって分かるでしょ!」
「や、やっぱりサンタクロースなんだ、その格好……」

外れてほしかった予想が当たって翔太が肩を落とす。その隣では、死神が不思議そうに首を傾げていた。

「サンタクロースとは何だい?」
「はあ?呆れた、あんたサンタクロースも知らないの?」

白いお髭のサンタクロースは知っているけど、お姉さんみたいなサンタクロースは知りません、と言いたかった翔太はぐっと我慢する。そしてクリスマスを知らなかった死神がサンタクロースを知っているはずもなかった。本気で呆れた顔をした自称サンタクロースは自慢げに胸を張り、自らを指差す。胸は、あまり大きくない。

「サンタクロースはね、クリスマスイブの夜におめでたいガキ共に夢を配るというくそ面倒くさい事しなきゃなんない人間の事を言うのよ、覚えておきな」
「夢?」
「その……プレゼントを配るんだよ、サンタクロースは」
「ほほう、なるほど。こんな寒い夜に配らなきゃならないなんて、大変だな」

一応納得する死神。納得できない翔太。やはり翔太の中のサンタと言えば、真っ白な髭を蓄えた優しいおじいさんなのだ。決して煙草持ってくればよかったとか呟いているこの不良姉ちゃんみたいな人では無い。
そんな疑いの心が顔に現れてしまったのだろうか。女サンタクロースの視線が、死神から翔太にうつった。

「そこのあんたは私の事まだ疑ってるようね」
「だ、だって、僕が知ってるサンタクロースと全然違うんだよ。もっとふくよかで、真っ白い髭が生えてて、おじいちゃんで……」
「あんた、若いくせに時代遅れね」

大きなため息をつく女サンタクロースに、そこはかとなく翔太は傷つく。当たり前の事を言ったはずなのに、何故こっちが世間知らずみたいな言われ方をされなければいけないのだろう。

「じ、時代遅れって」
「今時、よぼよぼのじいさんだけで世界回れると思ってる訳?老人虐待でしょ。今は採用拡大して、20歳からサンタクロース免許貰えるようになってるのよ」
「サンタクロースって免許制だったの?!」

翔太の中の色んな何かが音を立てて崩れていく。しかし最後の欠片は踏みとどまった。翔太は女サンタクロースに指を突きつける。

「そもそも!サンタクロースなんて実在してる訳ないだろ!プレゼントは親が買ってきて枕元に置いてるんだから!」
「このクソガキ!」
「あいたっ?!」

いきなり投げつけられたものは翔太の額に当たってその手の中に落ちた。思わず声を上げたが、言うほど痛くは無い。手の中に落ちたものを見下ろしてみると、それは小さな包みであった。女サンタクロースを見ると、いつの間にか手に白い袋を持っている。きっとこの包みはあの中から出したもので、それならこれは正真正銘、サンタクロースのプレゼントなのだろう。

「私がこの寒い中生活費稼ぐために必死でお前らガキのために働いてるっていうのに、それを実在してないだって?プレゼント投げつけるぞ!」
「もう投げつけられたよ!」
「もう頭きた!来い!」
「へっ?!えっ?!」

女サンタクロースは、翔太の腕を容赦なく捕まえるとずかずかと窓へ歩いて行く。そのまま外に浮いていたソリへ引きずり込もうとするので、翔太は混乱した頭で踏みとどまろうとする。

「いきなり何?!」
「信じられないって言うのなら、実際に仕事ぶりを見せた方が早いでしょう?ついでに手伝わせてこき使って楽出来るし。そう言う事だから、さっさと来る!」
「手伝いって、サンタクロースの仕事を?そんな!」
「なるほど、百聞は一見に如かずという奴だな。本で読んだ」
「うわっ死神いつの間に?!」

意外と力持ちな女サンタクロースにぽいとソリの中へ放り投げられた翔太は、そこにすでに死神が座っている事に気付いた。瞬間移動でもしたかのような素早さである。女サンタクロースが遠くに逃げていたトナカイを大声で呼び寄せている間に、翔太はどこか楽しそうな死神を揺さぶる。

「何呑気にしてるんだよ、このままじゃあの人にどっか連れて行かれちゃうよ!」
「今彼女が言っていたじゃないか、仕事を手伝ってもらうと。つまりそのサンタクロースとやらの仕事を生で見る事が出来るんだろう?チャンスじゃないか」
「た、確かに滅多にないチャンスと言えない事もないけど!」
「正直、さっきの説明じゃいまいちサンタクロースがどんなものか、分からなかったからね」
「あ、やっぱり分からなかったんだ……」

死神と押し問答している間に、女サンタクロースはどこか嫌そうなトナカイの角を引っ張って戻ってきてしまった。手早くソリとトナカイを紐で繋ぐと、翔太と死神が乗るソリにどっかりと腰を下ろす。

「さあ行くよ!振り落とされないようにしがみ付いてな、下僕共!」
「いっ嫌だーっサンタクロースは下僕なんて言葉使わないー!」

翔太の悲鳴を乗せて、ソリは軽やかに宙へ舞った。三人乗せたソリは何の抵抗もなく、仕方ないとばかりに空を走りだしたトナカイに引っ張られていく。
自分は今、空を飛んでいる。その事実を翔太は真下を見下ろす事で確かめた。小さく見える屋根屋根を信じられない思いで眺める。小さな雪達が舞い散る冷たい空の上、風を切るソリの上はかなり寒いはずなのだが、呆然としているからなのか何なのか、不思議とパジャマ一枚の翔太が凍える思いを抱く事は無かった。

「うむ、なかなか快適。ところでこの白い袋は何かな」
「落とさないでよ、商売道具もといプレゼントなんだから」
「なるほど、こいつを配るのか」

こんな状況でもマイペースな死神が隣に積まれた袋を覗き込んでいる。先ほど翔太が投げつけられたあの包みがつまっているのだろう。少しだけ落ち着きを取り戻した翔太が同じように覗き込もうとするが、その前にソリが空中で動きを止めた。女サンタクロースが二人を振り返る。

「さあ、ターゲットの家についたわよ」
「せめて子どもの家って言ってよ……」
「今から私が手本を見せるから、次から同じようにあんたたちも配るのよ」

女サンタクロースは袋から包みを一つ取り出し、ソリの上に立ちあがる。視線の先には民家の窓があった。カーテンの隙間から見えるのは、ベッドの中で健やかに眠る可愛らしい女の子。まるで覗きをしているようで恥ずかしい、と今の翔太に考える余裕はさすがに無かった。
女サンタクロースのただでさえ鋭い目つきがさらに細められ、最早ガンを飛ばしているかのようだった。そのまま窓から侵入する、かと思いきや、その場で包みを握った手を大きく振りかぶり。

「届けーっ!」
「ええー?!」

驚きの声を翔太が上げる中、女サンタクロースはプレゼントを窓めがけて投げつけた。プレゼントはガラスにぶつかって跳ね返る事無く、不思議な力でそのまま部屋の中へと通り抜ける。女サンタクロースの狙いはかなり正確で、あの勢いならば翔太がさっきされたように、女の子の額に直撃するだろう。ハラハラしながら翔太が部屋の中を凝視すると、さらに信じられない光景を目撃する。
プレゼントは確かに女の子の頭に綺麗に当たった。しかしその衝撃で女の子が飛び起きる事は無かった。プレゼントが、女の子へと吸い込まれ消えてしまったからだ。まったく変わらない寝顔の女の子に、翔太は目を丸くする。

「へえ、そうやってプレゼントを配るのか」
「そうよ、私のようにベテランになれば走るソリの上から正確に投げる事も出来るけど、まあ初心者は無難に止めて投げる事ね」

翔太の衝撃なんてお構いなしな死神と女サンタクロース。しかし今度ばかりは流される訳にはいかなかった。翔太は心の中に渦巻く疑問をそのまま、女サンタクロースにぶつけた。

「い、今!プレゼント投げた!サンタクロースなのに子どもに投げつけた!」
「何よ、文句でもあるの?」
「大ありだよ!サンタクロースは煙突から家の中に入ってくるものだよ!この辺には煙突がある家なんてないけど、それでもちゃんと部屋に入って手ずから配るべきなんじゃないの!」
「さっきからあんた、ガキの癖に考え方が古いわね」

ソリの上で器用に小さく暴れる翔太に、女サンタクロースは強く言ってやった。

「勝手に人様の部屋に入るのは、不法侵入になるでしょうが!」

夢の世界の住人であるサンタクロースに、夢のない事を言われた翔太はショックを受ける。しかしまだ納得はしていない。翔太はさらに詰め寄った。

「それに、投げつけたプレゼントが女の子に吸い込まれて消えたけど、アレは何?!」
「ああ、あれ。さっきあんたも言ってたでしょ」
「へ?」
「プレゼントは、親が子どもに渡すものだってさ」

女サンタクロースはソリを走らせながら言う。

「それでいいのよ、本来そうあるべきなの。だから目に見えるプレゼントは親に任せて、サンタクロースは目に見えないプレゼントを配ってるって事よ」
「目に見えない、プレゼント?それって一体……」
「さあのんびりしている暇なんてないわよ、この辺一帯は私の管轄なんだからね、今夜中に配り終えなきゃいけないんだから、キリキリ働いてちょうだいよ!」

話を早々に切り上げた女サンタクロースは、ソリのスピードを上げた。バランスを崩してソリのヘリにしがみ付きながら、翔太が情けない声を上げる。

「え?!い、今の僕たちもやるの……?!」
「もちろん、何のために連れてきたと思ってるの!」
「そ、そんなあ、僕はそんなに投げるの得意じゃないよー!」
「ふむ、ならばこの鎌でプレゼントを打ってみるかい?隠れた才能が開花するかも」
「絶対刃で切れちゃうよ!」
「つべこべ言わずに働け!今夜は寝かせないわよ!」
「うわーっ助けてー!」

翔太の悲痛な悲鳴は、ホワイトクリスマスイブの夜空に響いて、溶けて消えた。



その後、女サンタクロースに散々連れ回され、下手くそだのそれでも男かだの罵られながらプレゼントを投げまくった翔太。意外と早くコツを掴んで実際に鎌でプレゼントを打ち込んだりしていた死神と共に必死になって働き、気付けば夜が押しのけられ、空が白み始めた時間。へとへとになってソリの中に倒れ伏したまま見た空になった白い袋と、初めて聞く女サンタクロースの穏やかな声が、翔太が覚えている最後のクリスマスイブの記憶であった。

「助かったよ、今年も無事にプレゼントを配り終える事が出来た。今夜の駄賃に、来年のあんたへのプレゼントはもっと奮発したげるよ、私が覚えていたらね。……さあ、お帰り。メリークリスマス」



そして翔太は目覚めた。場所は自分の部屋のベッドの上、しっかりと布団の中にもぐりこんだ状態で、翔太の目は開かれた。外はもう太陽が昇りきっているようで、カーテンの隙間から明るい光が零れている。この様子なら夜から降り続いていた雪もやんでいるだろう。
翔太は明るい室内に目をしぱしぱさせながら起き上がった。辺りを見回して、停止していた思考を回転させ始める。

「……あれ?あの女のサンタクロースは……?」

目覚める直前まで見ていたはずの記憶を思い起こす。確かにさっきまでそこにいたはずだ。というより翔太がサンタクロースのソリの上にいたはずだ。しかし自分の身体はたった今までベッドの中で眠っていましたと言わんばかりに気だるい温かさを宿していて、とても先刻まで空の上に浮かんでいたとは思えない。
では、この記憶は?あのサンタクロースは?

「まさか……夢、だったのかな」

一人呟く。あれが夢だったのならば、がっかりすればいいのか喜べばいいのか、翔太には分からない。分からないが、夢の中の女サンタクロースの言葉を、不思議と思い出していた。

『サンタクロースはね、クリスマスイブの夜におめでたいガキ共に夢を配るというくそ面倒くさい事しなきゃなんない人間の事を言うのよ、覚えておきな』

「やあ翔太、おはよう」

冷たい空気が部屋に流れ込むと同時に、死神が鎌を担いだまま器用に窓から部屋の中へと入ってくる。翔太が身をすくませたのが分かったのか、窓はすぐに閉められた。いつも通りの笑顔を浮かべる死神に何かを尋ねようとした翔太は、すぐに首を振ってそれを止めた。あれが夢だったのか、違ったのか、はっきりさせなくても良いと思った。はっきりさせたくないと思ったのだ。
問いを飲み込んだ代わりに、翔太は口を開く。

「おはよう死神」
「おや、寝起きはいつももっとボーっとしているのに、今日は何だかやけに嬉しそうだね」

死神が笑いかけてくる。確かにそうかもしれないと納得した翔太は、笑顔で答えた。

「どうやらサンタクロースに、特別なプレゼントをもらったみたいだ」

11/12/30



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