約束の満月祭



仄かな明かりを灯す燈篭、行き交う無数の人々、色鮮やかな複数の浴衣、美味しそうな匂い、客を呼び込む威勢のいい声、子どものはしゃぐ声、歓声。今日は祭りであった。ここに集まるほとんどの人が笑顔で、祭りを楽しんでいる。そんな華やかで賑やかな空気を全身で感じて、翔太はふうと充足に満ちたため息を零した。祭りは嫌いじゃなかった。この活気に満ちた空間の中にいると、自分も何だかつられて元気が出てくるのだ。
祭りはこの街にある一番大きな神社で行われていた。毎年の事だ。近所の人々は大抵やってきているので、知り合いに会う確率はかなり高い。事実翔太は偶然兄弟と一緒に来ていた雄二と出会う事が出来た。今年は両親が仕事の都合で一緒に来れなかった為少々さびしい思いを抱えていた翔太にとっては嬉しい出来事であった。しかし雄二は、どこか複雑な表情を浮かべている。
翔太には何となく雄二の気持ちが分かった。きっと嬉しい気持ちと嫌な気持ちが綯い交ぜとなっているのだろう。嬉しい気持ちは、翔太と会えた事、それによって妹や弟の面倒をみる事から「友達と祭りを回るから」と逃げ出す事が出来たから。そして嫌な気持ちは、翔太と一緒に全身真っ黒な男が実に楽しそうに祭りに参加していたから。

「いやあ、祭りというのは素晴らしいね。この雰囲気の中食べるもの全てが美味しく感じるよ。ところで、プリンの屋台はどこかな」
「そんなもの無いよ」
「えっ、何で」
「何でって言われても……お祭りで食べるようなものじゃないからじゃない?」
「そんな……この雰囲気の中食べるプリンは格別だろうに……理解しがたいね」

一人テンションが上がったり下がったりしている死神に、マイペースにわたあめを食べる翔太に、死神を視界に入れないように頑張っているたこ焼きを頬張った雄二。三人は人が行き交う通りから離れた、立ち並ぶ屋台の裏手で固まって佇んでいた。歩きながらものを食べるには人が多すぎる。立ち止まってゆっくり食べるには、こうして隅にでも寄らねばならないのだ。

「どうした友人、元気が無いように見えるが」

プリンは家に帰ってから食べようと自己完結したらしい死神が、わざわざ雄二を振り返るものだから翔太は冷や冷やした。とりあえず一緒の空間にいれるようにはなったようだが、雄二が死神の事が苦手なのは変わりない。普通に会話が出来るほど慣れているだろうか。
雄二は一瞬ものすごく嫌そうに顔をしかめたが、振られた話を無視する事も出来ずにしぶしぶ口を開いた。

「別に、俺はいつも通りだ」
「そうかな?せっかくのお祭りなんだから、もっとはしゃいでもいいんだよ」
「そんな歳でもねえよ」
「そんな歳だと思うけどね。そもそも、お祭りに浮足立つ事に歳は関係ないように思えるよ」

ほら、と死神が指差したのは、一番人が集まる祭りの中心部。そこでは大人も子どもも笑顔で祭りを楽しんでいる。酔っ払っているのか大声で笑い声を上げる良い歳した大人の集団もあった。確かにあの様子を見れば、むしろはしゃいでいるのは大人に多いような印象も受ける。思わず翔太は頷いていた。

「確かに。普段はしゃげない分、今羽目を外しているのかな」
「そうかもしれないね。それにしてもこういう場でしか自由になれないというのは可哀想だ。もっと皆、毎日を自由に生きたらいいのに。ぼくのようにね」

両手を広げてにっこり笑う死神を見て、ああ確かに自由だなと納得する翔太と、お前は自由すぎると睨みつける雄二。こんな見るからに自由人は、今日も人目を憚らずいつも持ち歩いている大きな鎌を肩に担いだままだ。出掛ける前に、祭りは人が多いから危ないと何度も注意したのに持ってきたのだった。しかし人ごみにまぎれている時、死神は不思議と姿を消して、気がつけば人と人の間の空間で気ままにいつも通りに鎌を担いでいた。そういう隙間を見つける名人なのかもしれない。そもそもこんな凶器を持つ変人が紛れ込んで騒ぎにならない方が異常だ、何か特別な気配を消す魔法でも使っているのではないかと翔太は思った。

「死神って、どう見ても目立つのに目立たないよね」

しみじみとそう言うと、雄二が力強く頷いてきた。

「そうだ、どう考えてもおかしい。こんなに人がいるのに見回っている警備のおっさんに声もかけられない。どうなってんだ死神、どんなトリックを使った」
「そう言われても、ぼくは何もしていないんだけどねえ。きっと皆、ぼくがここにいる事を知らないだけなんだよ」

皆、と周りで祭りに酔いしれる人々を指して、次に翔太と雄二を見つめてくる。

「そして君たちはぼくがここにいて、この祭りを楽しんでいる事を知っている。だからぼくが目立っているように見えるんだ。何せぼくは今、このお祭りパワーにあてられて活力がみなぎっている状態だからね、そう見えても仕方のない事だ」
「い、意味わかんねえぞ」
「そのままの意味さ。皆知らないから、見ていないだけだよ。見ようと思えば見えるのにね、そう思っていないだけさ。簡単な事だよ」
「……お前と話していると、極限まで疲れる……」

そう長い事話した訳でもないのに雄二はぐったりと肩を落とした。その肩を翔太は労わる様に叩いてやる。大分死神に慣れた翔太でも、死神の言っている事がちんぷんかんぷんに感じる事があるほどだ。雄二が心底訳が分からなくても仕方が無い。
そうやって雄二を慰めてやりながらふと、翔太は微妙に懐かしい気持ちを感じていた。何故だろうと考える前に思い出す。そうだ、似たような事を以前死神に言われていたはずだ。確か、初めて出会って間もない頃だ。そんなに昔の事でもないはずなのに、何だか遠い昔に言われた事のような気がする。

「あっ」

そうして翔太は、とある存在を思い出していた。死神とはまた違う、不思議な存在だ。あの子に出会ったのも、死神と会ってからそんなに経っていない頃だったか。無意識のうちに頭上を見上げれば、まあるい満月だった。
いきなり声を上げた翔太に、雄二が怪訝そうに振り返る。

「どうした?」
「うん、前に会った事のある子を思い出したんだ」
「今の会話で?!一体どんな奴なんだよ」
「今日みたいな満月に会ったんだ。ああ、そうだ」

翔太は思いついた。それはすごく素敵な事のように思えた。また会えるとは限らない、もしかしたら見る事が出来ないかもしれないが、それでも行動に移してみようと思った。
だってあの子は言ったのだ。別れる際、「今度は一緒に遊んでね」、と。

「雄二、この後ちょっと付き合ってくれる?」
「は?どこへ」
「そんなに遠くないよ。お土産に何か屋台で買って行こう。死神も行くよね」
「もちろん。さあ、行こうか」
「いやだから、どこへだよ!」

抗議の声を上げる雄二をずるずると引きずりながら、どの食べ物を買っていってあげようか翔太は迷った。
キツネの子って、一体何を食べるんだろう。



祭りのお陰で盛大に賑わっていた大きな神社と比べると、人気のないこの小さな神社は余計に暗く寂しく感じた。しかしまったく何も見えな暗闇では無く、頭上で煌々と照る満月の光によってぼんやりと辺りが映し出されている。そんな微かな光を頼りに、あまり手入れがされていない小さな広場に翔太と雄二と死神は足を踏み入れた。手にはイカ焼きやら焼きそばやらかき氷やら食べ物を持ちこんでいたので、辺りにふわりと食欲のそそる匂いが立ちこめる。食べ物だけでなく、水風船やくじの景品なども一緒に持ち込み、準備は万端だ。
相変わらず何も聞かされてない状態で不安げに辺りを見回す雄二とは対照的に、しっかりとした足取りで目の前に建つ人一人入るのがやっとな小さいお社の前に立った翔太は、辺りを見回しながら声を上げた。

「いる?」
「いるよ」

間髪いれずに聞こえた返事。はっと気がつけば、お社の脇にひっそりと建つキツネの像の陰から、こっちを覗く黄色のキツネのお面が見えた。身につけている甚平も今の季節にちょうど合っている。いきなり現れた、ように見えるその男の子に、雄二はびくりと肩を震わせて驚いた。翔太は男の子が現れた事にほっと息をつく。

「よかった、いた。僕の事覚えてる?」
「うん。大切なボールを一緒に探してくれたお兄ちゃん」
「そうそう。僕たち今まで近くの祭りに行ってたんだ。祭りがあるの、知ってた?」
「知ってた。見てたから」

男の子は像の陰からゆっくりと出てきて、翔太の正面に立った。その背中には、ふさふさの黄色い尻尾がゆらゆらと揺れている。それに気付いた雄二が今日二度目の驚きに後ろで一人、目を見開く。
雄二の様子にはお構いなしに、翔太は持ってきた品物たちを持ち上げて、男の子に見せつけてやる。

「さっき、月を見てたら君の事を思い出したんだ。前に約束していた事」
「約束?」
「今度は一緒に遊ぼうって、君が言ってたから」
「うん、言った」
「だからお土産持ってきたよ。食べた事ある?ていうか食べれるかな?適当に買って来たんだけど。遊ぶものもあるし、今日は人数も多いから賑やかになるよ」

ね、と背後を振り返る翔太。その視線にとっさに反応できずに固まる雄二と、何故か残念そうに項垂れている死神。翔太はまず死神に尋ねた。

「何で項垂れてるの死神」
「うん、せっかくお土産を持ってここに来るのなら、プリンでも買ってくればよかったと思ってね……プリンのあの素晴らしさをこの子にも教えてあげるチャンスだったというのに」
「死神が自分で食べたかっただけじゃないの?」
「それもまあ、半分ぐらいはあるかな、うん。ああ残念だ」
「まったく……」

呆れたため息をついた翔太は、次に雄二を見つめた。雄二はまだ固まったままだ。

「雄二はどうしたの?」
「い……いやいや、どうしたのじゃねえよ、だ、誰だよそいつは」
「ここに来る前に話した子だよ。あー、そういえば名前聞いて無かったな」

翔太が尋ねるように見れば、男の子は首を傾げるだけだった。雄二に向き直った翔太は、事も無げに言う。

「名前は無いみたい」
「無いみたい、じゃねえよ!何だそれは!それにそいつ、その、し、尻尾みたいなものも見える、ような!」
「あーそうだね、僕も最初気付いた時は雄二みたいにすごく驚いたよ」
「お前何悟ったような目してるんだよ!そっち側か、すでにもうそっち側にいってしまったのか?!死神に感化されるのが早すぎるだろ!」
「ぼくが何だって?」
「ち、近寄るな未確認物体!俺はまだそういうのに慣れてな……いっいや慣れる慣れない以前の問題だ!こんなの有り得ないだろ!」

まだ死神にも慣れきっていない雄二には刺激が強すぎたようだ。頭を抱えて叫ぶ雄二の肩を、翔太が落ち着かせるように優しく叩いてやる。そう、雄二が落ち込んだ時なんかにいつもこうやっているのだ。自分とは別の温かい人のぬくもりを少しでも感じれば、僅かにでも安心出来るものだ。ゆるゆると顔を上げる雄二に、翔太はにっこりと微笑む。

「雄二」
「翔太……」
「死神や恋中さんに会ってすでに会話している時点で、そんなの今更じゃない?」
「……んなの、分かってるよ……」

思わずその場で膝をつく雄二。その顔を覗きこむように傍に寄ってきてしゃがみ込むのは、キツネのお面をかぶったままの男の子であった。顔は見えなくても、その声と雰囲気で雄二を気遣っているのがよく分かった。

「お兄ちゃんは、遊ぶの嫌?」
「………」

小さな子ども(実際の年齢は定かではないが)にそんな声で尋ねられてしまえば、弟や妹の世話で小さい子の面倒をみる機会が多い雄二に断る事は出来ない。しばらく俯いた後、覚悟を決めたように勢いよく立ちあがり、持っていた焼きトウモロコシのカバーを音を立てて外し、がぶりと噛みついた。

「美味い!お前も食え!んで、食い終わったら遊ぶぞ!今日はもう夢を見ているんだと思ってとことん付き合ってやる!」
「見てごらん、あれをやけ食いって言うんだよ」
「へー」
「死神!お前も下らない事言ってないで食え!元はといえば全部お前の存在のせいなんだからな!」
「もがもが」

次々と食べ物をあけていく雄二に負けないように群がる一同。仮面を被ったままどうやって食べているのか定かではないが、美味しいと楽しそうに呟く男の子を見て、そしてやけ食い真っ最中の雄二を見て、翔太は満足げな笑みを浮かべる。男の子を喜ばせる事が出来て、雄二を少しでも死神のような変な生き物?に慣れさせる事も出来た。今日は素晴らしい夜である。正直翔太だって楽しそうに揺れる男の子のキツネの尻尾に戸惑いは残っているが、この祭りの熱気の余韻が残る心にとっては些細な事であった。
自分の持っていた焼きそばのタッパーを開けて中身を食べようと割り箸を握った翔太は、その瞬間ドンと空から重く響いた音に思わず動きを止めていた。顔を上げれば、儚い月の光とはまた違う明るく激しい色とりどりの火花がそれぞれの表情を照らし出していた。皆一様に空を見上げている。音は立て続けに鳴り響き、いくつもの美しい光が空に輝き、そして消えていく。花火であった。

「おおすごい。美しいね。一体これは何だい?」
「は?お前花火も知らないのかよ、さすが未確認物体。花火、花の火って書くんだ。火薬入れた玉を空に発射したらああやって綺麗に爆発するんだよ」
「花火、か、なるほど言い得て妙だね。これが祭りのクライマックスという事か」

呆れながらも説明してくれた雄二の言葉に、死神は感心した様子で花火に見入る。次々と夜空に散っていく美しい花火たちに、全員が見惚れていた。食べる事も忘れて空に視線を向けていた翔太の耳に、ぽつりと漏らした男の子の声が届く。

「……花火を、他の誰かと見るのは、これが初めてだ」

キツネのお面は、満月と花火が浮かぶ空を見上げたまま。翔太は手を伸ばして、その頭を優しく撫でていた。

「また一緒に見よう。今度はもっと別なお土産も持ってくるから。そうだな……プリンとか」
「……うん」

翔太を振り返った見えないその顔は、きっと笑っていた。

「また一緒に。約束」

12/08/30



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