ジャックさんと奇妙なハロウィン



今夜はいわゆるハロウィンと呼ばれる日であったが、翔太はそれほど興味を示さなかった。まず、ハロウィンという行事に馴染みが無いせいだ。クリスマスやバレンタインデーほどになるとそれなりにこなしているので楽しもうかなという気分にもなるが、少なくとも翔太はハロウィンが何をする行事なのか詳しくは知らないし、本格的なものに参加した事もない。だから今日がいくらハロウィンの夜と言われても、いつも通り過ごす事しか出来ないのだった。
翔太は大体片付いた宿題を前に、両手を上げて伸びをする。数学の先生はとても厳しく、宿題を忘れてきた者には教科書の角で頭を小突かれる罰とさらに二倍の量の宿題を出されてしまうので、この教科だけはきっちりと終わらせなければならないのだ。それもほとんど終わってしまったので、ようやくほっと一息つける。
翔太はふと椅子から立ち上がって、傍にあった窓を開け外を眺める。二階から見下ろす家の前の通りは静まり返っていた。やはり誰もハロウィンのために動いてはいないようだ。まだ外が明るい夕方頃には、仲の良いご近所同士で小規模なハロウィンパーティをしていた所が見えたが、それぐらいだ。翔太は思わず呟いていた。

「静かだなあ」
「ん?いつも通りの夜だと思うけど、どうしてそう思うんだい?」

翔太の独り言を聞いて死神が反応する。死神は今まで、翔太の作りっぱなしでろくに使っていない図書館のカードを使って借りてきたという本を読んでいた。図書館で本を吟味する死神、想像するだけで異様な光景である。翔太は外を眺めながら答えた。

「死神、ハロウィンって知ってる?」
「ハロウィンか、ちょうどこのハロウィンについて書いてある本で学んだばかりだよ」
「えっ、何でそんな本を借りてきたの?」
「今月のおすすめっていうコーナーにあったからね」
「ああなるほど。今日がそのハロウィンなんだよ」
「へえ、そうだったのか」

死神は翔太の隣にやってきて、同じように外を見る。しばらく見える範囲をきょろきょろと眺めた後、不思議そうに首を傾げた。

「今日は本当にハロウィンなのかな。今読んだばかりの本に書いてあった、楽しそうなイベントの数々は行われていないように見えるんだけど」
「うーん、この辺じゃハロウィンは馴染みがないからね。あんまりやる人はいないよ」
「そうなのか、それは残念だ。話に聞く限り、ハロウィンというものはぼくにピッタリのイベントだと思ったんだけどな」
「……あー、うん、確かに」

ちらっと横目で死神を見た翔太は、納得して頷いた。今日ほど死神のこの異様な姿が馴染む日というのは無いだろう。毎日一人仮装パーティをしているようなものなのだ。この姿であのハロウィン定番の台詞を言えばきっと迫力も出て似合うだろう。それを想像して、翔太もちょっとだけ残念に思った。
それにしても最近は冷える。冬はもう目の前に迫っている季節だ。肌寒さを感じた翔太が寝る準備をするために窓を閉めようとした、その時だった。少し離れた所にぽつんと灯る街灯の下に、何か人影のようなものが見えた気がしたのだ。思わず窓を閉めようと伸ばした手を止めて、翔太はそれを凝視していた。人影は、確かに存在していた。いくら見つめても消える事は無い。光の下にいるため、その輪郭もよく分かった。
翔太は人影をはっきり認識した後、自分は勉強のしすぎで疲れてしまったのではないかと思った。だって、そこに見えた人影は、普通の姿をしていなかったのだ。

「し、死神!」
「ん?どうしたんだい?」
「あそこに、死神みたいな変な人がいる!」
「どういう意味かなそれは。どれどれ」

翔太が指差す方向に死神も集中する。そうして街灯の下に佇む怪しい影を見つけた。しばらく考え込むように黙った後、死神は負けを認める様に項垂れた。

「ね?死神みたいな変な人だっただろ?」
「うん、翔太、君の言う通りだ。あれは例えるなら確かにぼくのような存在だと言わざるを得ないだろう」
「意地でも変な人って言わないんだなあ……」

翔太と死神は、少し間をおいて同時に顔を見合わせていた。視線だけで一瞬会話して、静かに窓を閉めて踵を返す。そしてそのまま、二人は部屋を出た。見に行く事に決定したのだ。


ひんやりと静かに漂う秋の終わりの空気に、翔太は何か着てくれば良かったとちょっぴり後悔しながら家の外に出た。寒そうな様子を微塵も見せない死神が先に立って歩く。街灯は目の前に見えていた。もちろん、光に煌々と照らされる人影もはっきりと。翔太と死神は、少し離れた場所で立ち止まり、人影を見つめた。
いや、もう人影とは呼べない。目の前に立った事で、はっきりとその姿を見る事が出来たからだ。それに……人と呼べる存在なのかも、分からなかったのだ。身体を真っ黒な長いマントで多い、頭には巨大な、カボチャを被る、明らかに不審な物体なんて。
翔太は話しかけようと半分開いた口を、そのまま静かに閉じていた。こんな変な人にどんな言葉をかけていいのか分からない。むしろこのまま立ち去って直ちに通報してしまったほうがいいのではないだろうか。この人がもしカボチャを被っているだけのただの人間だったとしても、それはそれで危険人物である事に変わりは無い。
翔太が躊躇っている間に、とうとう向こうが動き出してしまった。佇んでいただけの身体の向きを変え、こちらの正面に立ったのだ。カボチャ人間は翔太よりも、死神よりも背が高かったので、その迫力は真夜中ともあって恐ろしいほどである。逃げ出す事も出来ずに固まる翔太に、カボチャ人間が話しかけてきた。

「……すみませんが、あなた方は人間ですか?」
「へ?……へっ?」

意外とダンディな声に、翔太は引きつりながらもとりあえず頷く。しまった違いますと答えた方が襲われる危険が減ったかもしれない、などと考え付いたのはその後すぐ。後悔している間にもカボチャ人間はマントの下から両手を上げて頭上に掲げた。マントの下はきっちりタキシードを着込んでいるのが目についた。翔太は動かない自分の足に、覚悟を決めてぎゅっと目を閉じる。かくして、振り下ろされたカボチャ人間の手は、まっすぐ翔太へと伸びていき、

「いやあよかった!今日はせっかくのハロウィンの夜だというのに、誰もいなくて寂しい思いをしていたんですよ!やはり人間の方がいてこそのハロウィンですからねえ!ありがとうございます、ありがとうございます!」

やたらと嬉しそうに肩をバシバシと叩かれた。翔太が反応し切れずに目を丸くしていれば、代わりに死神がカボチャ人間に話しかけてくれる。

「というと、君は人間ではないという事かな?」
「おや!そういうあなたのその格好は、私と同じなのでしょうか、それとも仮装された人間ですか?」
「さあて、どっちだろうね。君の姿は本で似たようなものを見た事があるよ。カボチャのランタンを持ったり被ったりしている、ハロウィンのお化けのようなものだったかな」
「ええ、その通りです!私の事はどうぞ気楽にジャックとお呼び下さい。あなた方は?」
「ぼくは死神、彼は翔太だよ」
「死神さんに、翔太さんですね!よろしくお願いします」

ガッチリと両手で握手されて、はっと我に返る翔太。妙に物腰が丁寧な姿をおっかなびっくり見上げる。

「ほ……本当に、お化けなの?ジャックさん」

さん付けで呼ばれたので、思わずこちらもさんを付けてしまう。ジャックさんは嬉しそうに何度も頷いてみせた。

「もちろんです、ハロウィンの主役といえば、人間の方々に交じってお菓子を求めて練り歩いてみたり、通りすがりにお化けである事を明かして驚かしてみたり、迷子の子どもをランタンで家に送り届けてあげたりしている我々ハロウィンのお化けですよ!あ、私はランタン持ってないんですけど、他の仲間が持ってるんですよ。結構バリエーションあるんですよね我々」
「はあ……」

翔太の頭の中で、お化けのイメージがガラガラと崩れていく。そもそもあまりハロウィンに馴染みが無い地域にもハロウィンのお化けがいるものなのかと、妙に感心してしまう。そう思っていると、死神がジャックさんを上から下まで眺めながら尋ねかけていた。

「それで、ジャックはどうしてこんな所に一人で立っていたんだい?」
「ああ、そうですそうなんです……聞いてくれますか?」

さっきまであんなにうきうきしていたジャックさんがシュンと項垂れてしまう。頭のカボチャが重そうだ。

「今日はそのハロウィンじゃないですか、私が唯一活躍できる一年で一度のハロウィンですよ、だから気合入れてこうやって夜にやってきたというのに……誰もハロウィンパーティやってないじゃないですか!しばらくこのあたりを歩いてみたんですが、誰もいないんですよ!ひどいです、世知辛すぎます!せっかくマントも新調してタキシードもクリーニングに出してカボチャもぴかぴかに磨いたのに!」

ジャックさんは覆い切れない大きさのカボチャ顔に手を置いて、おいおい泣き始めた。泣いたと言っても涙はどこにも見えないが。つっこみ所がありすぎてなんて言えばいいのか分からない翔太の代わりに、またしても死神が口を挟む。

「このあたりはハロウィンのイベントが盛んに行われてはいないようだよ。もっと別な場所に行った方がいいんじゃないかな」
「駄目です、他の場所はもう別の仲間にとられています。意外と縄張り意識強いんですよ我々。私はこの土地で頑張るしかないんです……ああせっかくのハロウィンの夜にただ一人佇んでいる事しか出来ないなんて……」

つまり、こんな土地の縄張りしかとれなかったジャックさんは仲間内で弱いんだろうかと失礼な事を翔太は考えてしまう。さすがにここまで打ちひしがれている姿を見て追い打ちをかけるような事は言えなかった。しかしすぐに言ってしまえばよかったと思い直す。ジャックさんがケロリとした様子ですぐに顔を上げてきたからだ。

「しかし!今ここにあなた方がやってきて下さった!私は月に見放されていなかった、本当にありがとうございます!それではさっそく、ハロウィンに定番なアレをしたいと思うんですが、よろしいですか?」
「……えっ?!は、ハロウィンに定番なあれって……!」

翔太の頭の中に、ある言葉が思い浮かんだ。ハロウィンイコールその言葉と言っても過言ではない、翔太の知る範囲では。どうやら死神も同じ言葉が思い浮かんだようで、しかしこちらは翔太とは対照的にずいぶんと楽しそうである。

「おお、まだ本でしか見た事の無かった例のアレが生で聞けるという事だね。楽しみだ」
「ちょっちょっと待ってよ死神!ワクワクしている場合じゃないよ!」
「どうして?ハロウィンのお化けから直々聞けるんだよ、初体験じゃないか」
「確かに初体験だけど!僕たち今何も持ってないんだよ!」

そう持っていないのだ何も。あの言葉を言われて、差し出せるようなものが何一つない。それを意味する事を死神は分かっているのだろうか。待って下さいと翔太が言う前に、待ちきれなくなったジャックさんは一歩こちらに踏み出し、言ってしまった。

「トリック、オア、トリート?」

翔太は絶望した。トリートなんて持っていない。つまり残るはトリック、いたずらしかないのだ。本物?のお化けのいたずらなんて、どんなに恐ろしいものなのか想像も出来ない。もしかしたら命さえも落としてしまうかもしれない。家から出てくるんじゃなかった、ハロウィンを舐めていたのだ。
早くこの場から逃げようと死神を引っ張りかけた翔太だったが、思わずその手を止めていた。死神が懐から何かを取り出し、ジャックさんへと手渡していたのだ。

「どうぞ」
「おお、これは……まさしくトリート!」

ジャックさんが感嘆の声を上げる。死神が手渡したのは、一つのプリンであった。小さなプリンを大きな掌に乗せて、ジャックさんは大げさな身振りでそれを頭上に掲げてみせる。

「やりました、私は務めを果たしました!何万通りも考えていたいたずらを仕掛ける事が出来なかったのは少々心残りですが、初めてのお菓子を頂けた喜びは何倍にも勝ります!おお素晴らしきハッピーハロウィーン!」
「は、初めてだったんだ……」

かなりテンションの上がった様子のジャックさん。とうとう空に叫び出してしまった。この声に反応して誰か出てこないか冷や冷やしながら辺りを見回す翔太などお構いなしに、一通り感動の叫びを上げ終わったジャックさんがこちらへと向き直ってくる。懐にはとても大事そうにプリンが抱きしめられていた。

「お付き合いありがとうございました。今年のハロウィンはこの幸せの気持ちのまま終われそうです」
「それはよかった。帰ったら是非そのプリンの極上の美味さを味わうと良いよ、君もきっと来年からパンプキンよりプリンを被りたくなるぐらい気に入るはずさ」
「ははは、楽しみにしておきます。死神さん、翔太さん、本当にありがとうございました……」

ジャックさんの瞳が見えていればきっと潤んでいただろう、そんな声色だった。そのまま深々と頭を下げるので、僕は何もしてないけどなあと思いながらも慌てて翔太は頭を下げ返す。少し遅れて死神も真似するように頭を下げた。傍から見れば、異様ないでたちの二人と普通の一人が頭を下げ合っているという奇妙な光景だっただろう。
顔を上げたジャックさんは、マントの中に丁寧にプリンをしまうと、元気よく片手をあげた。

「それでは私は帰ろうと思います!次にこの土地へやってくるのは一年後、来年のハロウィンになるでしょう。その時まで翔太さん、死神さん、どうかお元気で!」
「あ、ええと、はい、ジャックさんもお元気で」
「今度はプリンについて熱く語り合おう」
「お二人とも、良きハロウィンの夜を!」

大きく手を振りながら、ジャックさんは電灯の届かない暗闇へと歩いていった。光が届かなくなった途端、ジャックさんの巨体がまるで夜の闇に溶け込むようにふっと見えなくなってしまった事に内心ドッキリする。そうしてジャックさんは去った。
翔太はジャックさんがどこにも見えない事を確認してからホッと息をついた。今までずっと緊張していた事が実感できる。ジャックさんからはお化けに癖に悪意の欠片も見当たらなかったが、それでも緊張はするものなのだ。

「恰好も面白かったし、彼は愉快な人だったね。もし来年また会えるとしたら、今度は何を渡してあげようか。それともいたずらに掛かってみるというのも面白いかもしれないね。いや、ここはむしろこちらから仕掛けるっていうのもいいかも」

あれこれと死神が楽しそうに考えている。そんな死神を、翔太は静かに見つめた。

「死神」
「ん、どうしたんだい?」
「さっきの、あのプリンの事なんだけど」
「さあ翔太、夜は冷えるから早く帰ろう。明日も君は学校だろう?早く寝ないと遅刻してしまうぞ」

翔太が全部言う前に、死神がつかつかと歩き出してしまう。それを翔太は睨みつけながら追った。

「やっぱり、あれは僕が明日食べるためにとっておいたプリンだな!こっそり自分で食べようとしていたんだろ!待て死神!」
「だって君、冷蔵庫を開けたらあのプリンが一つ寂しそうにぽつんと置いてあったんだよ、可哀想で手にとってしまったのは仕方が無いだろう。それにほら、後で君に渡そうと思ってだね」
「嘘つけっ!トリックオアトリート!」
「駄目だよもう何も持ってないよ本当だよ」
「じゃあいたずらさせろ!死神、鎌を貸して!めいっぱい落書きしてやる!」
「そ、それだけは勘弁してくれ。今度ぼくの分のプリンを半分あげるから」
「こういう時は全部渡すものだろー!」

夜中の道端で追いかけっこし合う二人を、何事かと覗くご近所さんが数人いたが、ああなるほどハロウィンパーティをしているのかと微笑ましく見守っていてくれた事を、翔太はまだ知らない。

12/11/04



  |  |